353号 宮城県丸森町・角田市 お見舞いと史料レスキュー

2019台風19号救う―救済活動

佐藤大介です。台風19号で被災された方に改めてお見舞い申し上げます。

2019年10月20日に行った、宮城県丸森町および角田市でのお見舞いと、史料レスキューについての報告です。

見出しに「お見舞い」といたしました。私は2013年以来、丸森町の個人宅での歴史資料保全活動を実施しております。調査、また成果報告会などを通じて、所蔵者の方、また地域で郷土史活動に取り組む皆様と交流してきました。

私自身としては、お世話になっている丸森町の皆様に、ご無事の確認、またお見舞いの訪問をしたい、という思いがありました。その折に可能な範囲で、歴史資料・文化財の状況を確認するという形を取りました。角田市郷土資料館から水濡れ史料への対応要請も依頼されており、合わせて訪問することとしました。

当初、19日の予定を、同日の強い雨による二次災害を避けるために一旦延期し、天候が回復した20日に、各地を訪問しました。

○午前10時40分 角田市に最近オープンした道の駅を通りかかった際、「災害ゴミ」の集積場が出来ているのを見つけました。当然、歴史的なものの処分も懸念されます。一旦車の列に入ろうとしましたが、流れ作業で手際よく廃棄作業が進む中、何もすることは出来ませんでした。

○午前11時 丸森町舘矢間地区の所蔵者方を訪問し、お見舞いをしました。御当主や家族の皆様のご無事を確認できて、まずは安堵いたしました。
断水と言うことで個人的にペットボトルの水を数箱持参して御渡しした後、7年間保全活動を行っている古文書は無事に保管されていました。

一方、一時周囲が冠水するなど、これまでに経験の無い被害が出たと言うことです。収穫直後の米が浸水してしまったお宅もあった、ということです。

その後、講演会や調査でお世話になっている地区の方を訪問しました。事前の約束は無かったのですが、面識があったこともあり、喜んで迎えていただきました。その後、郷土史活動に取り組んでおられる住民の方を招いていただき、しばし当日の状況についてお話を伺いました。1986年8月5日にこの地区を襲った「七夕豪雨」よりも冠水した、などのお話を伺いました。それでも、舘矢間地区はそれほどの被害では無かった、ということでした。

帰り際に、現状が大変なのは重々承知しているが、と前置きした上で、片付けに際しての歴史資料の誤廃棄防止を呼びかけるビラでの告知をお願いしました。

○午後12時50分 昼食と、角田市郷土資料館から対応依頼を受けていた水損資料引き取りのため、角田市の市街地に戻りました。

その折、什器と思われる箱を含む「災害ゴミ」の処分をされている個人宅の前をたまたま通りかかりました。面識のない方にいきなり声をかける勇気が出ず、近くの角田市郷土資料館に急行し、職員の方に同行をお願いしました。角田市の公用車なら安心でしょう、と機転を利かせていただき、それに乗り換えて再度訪問しました。什器類数箱を、角田市郷土資料館に一旦搬出することとなりました

救出した什器類(角田市)

 

角田市では、郷土資料館を通じて、全戸配布する災害復旧情報のチラシに、歴史資料の誤廃棄防止の呼びかけを掲載してもらっていました。所有者の方もそれは読んでいたということです。しかし、そこに「道具」とは記されていなかったので、迷ったが処分を決めたと言うことでした。一部は既に処分したとのことです。一方、声をかけてもらい、引き取ってもらってほっとした、というお話もありました。

道具類については、8年半前の東日本大震災に際しても、江戸時代にまで遡るような、被災した古い道具を数々確認しました。しかし、一時的な置き場所も、最終的な引き取り先も確保できず、泣く泣く置き去りにしました。その経験もあり、道具への対応は現時点では抑制的な対応を取らざるを得ませんが、今回のような事例に遭遇してしまうと、悩ましいところです。

郷土資料館へ戻る途中、被害のひどかった地区を案内していただきました。偶然、角田市での講演会でお世話になった方が、自宅の後片付けをする現場に遭遇しました。角田の郷土史関係の方々にも協力を呼びかけていましたが、被災されている可能性に思いが至らなかった自分を、とても恥ずかしく感じました。そのことをお詫びすると、かえって活動への激励をいただきました

地区には「災害ゴミ」の集積場がいくつか設けられていましたが、すでにいっぱいになっていました。
これらの中には、元の持ち主の方々にとって思い出深い品々もあったことでしょう。被災された皆様のお気持ちはいかばかりでしょうか。

住宅地の災害ゴミ(角田市)

什器類は、一旦郷土資料館に預かっていただきました。そして、依頼を受けていた水損資料を預かりました。

○午後14時30分
ごく簡単にですが、丸森町内を車で巡回しました。ここからは蝦名裕一さんが作成された文化財マップをスマートフォンで参照しながら動きました。

洪水で浸水した町役場周辺の道路にはまだ泥が残り、それが乾燥して、支援に入る車や風で砂ぼこりを巻き上げていました。上空にはヘリコプターが何機も飛び回り、低いエンジン音が響いています。
町役場の前のグラウンドには、すでに「災害ゴミ」が積み上げられていました。

地元の歴史的建造物で、観光拠点にもなっている齋理屋敷のある通りは、江戸時代後期の阿武隈川の洪水をきっかけに、現在地に移転した街です。道路は泥に覆われ、撤去された分が路肩にありましたが、建物の外観は無事に見えました。後片付けのための荷物を屋外に出しているようにも見えませんでした。

齋理屋敷(宮城県丸森町)

また、鳥屋嶺神社のある、かつての武家の居住地区も、すこし高い土地にあるためか、浸水は免れたようでした。ここでも、後片付けなどの動きは見られないようです。

その後、町役場から南に向かいました。丸森町での保全活動の際の宿舎にしている国民宿舎の隣にある、愛敬院の状況を確認するためです。しかし、通行止め、また自衛隊が作業を継続している状況であり、訪問は断念しました。

町役場の南にある水田も、泥に覆われていました。台風19号が日本を襲ったのは、体育の日の3連休のことです。おそらく、この三連休に合わせて稲の収穫を予定していたお宅も多かったことでしょう。ご自宅の被災と合わせ、無念さはいかばかりかと思います。

収穫間近の田圃と夕日(宮城県丸森町)

○午後15時 金山地区を通過しました。甚大な被害が出ていました。猛烈な水流を受けたためか、小学校のフェンスはなぎ倒され、舗装道路が掘り起こされてしまっています。浸水は目視の限り、道路面から1メートル前後というところでしょうか。国道に面した集落では後片付けが進み、道路の両脇に車が駐車され、それを回避しようとする車は、反対車線を長距離走行することになります。なんとか譲り合いながら進みました。

○午後15時30分 国道をさらに南に進み、大内地区に到着。比較的高地にある集落中心部は無事だったようです。古い建造物が多くあるように見受けられました。

○午後16時 金山地区の方に、浸水の様子などをうかがいました。1986年や、1958年の洪水よりも浸水した、ということでした。
その後、小斎地区に向かいました。集落の東側を通る県道までだった模様で、道路の西にある集落は無事だったように見えます。後片付けなどで軒先に荷物が山積みになっている様子はありませんでした。その後、角田市、山元町経由で帰着しました。

なお、今回は町の西部、耕野地区と筆甫地区には訪問できませんでした。

今回の丸森町や角田市では、面識のあった方々が多く、郷土資料館とも関係を持っていました。そのことで、災害から期間を置かずに訪問することができ、また角田市では呼びかけの全戸配布もできました。平時の関係の重要さを改めて認識する機会になりました。

一方で、広域に襲った水害、その後迅速に立ち上がった「災害ゴミ」の回収の中で、すでに失われた歴史資料もあると考えられます。丸森町役場の関係の方々とも交流を持っていましたが、災害復旧が最優先の状況です。7年間も通いながら、宮城資料ネットがうたってきた「災害「前」の歴史資料保全活動」に、もっと出来ることは無かったのか。そんな思いもしています。

今は一刻も早く、地元の方々の日常が取り戻されることを願いつつ、状況を見計らい、関係者と協力しながら、引き続き史料レスキューに取り組んでいくつもりです。