354号 涌谷町の緊急の資料レスキューに同行して
2019.10.25
涌谷町の緊急の資料レスキューに同行して
NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク理事長 斎藤善之
2019年10月22日、天皇即位礼の祭日、事務局の佐藤さん、川内さん、蝦名さんが、涌谷町内の水損資料のレスキュー要請をうけて緊急の現地調査に行かれるというので、現場の状況を少しでも知っておきたく私も同行させてもらうことにしました。
当日はあいにく台風崩れの温帯低気圧の通過により、朝から大雨で、被災各地ではボランティア活動の受け入れを見合わせる事態となっていましたが、水損資料は劣化が急速に進むということで、川内さんの運転する資料ネットのミニバンで悪天候のなか現地に向かいました。
途中、鹿島台あたりから被災地救援の車両が増え、さらに行くと道路脇に災害ゴミの仮集積所を見かけました。たくさんのポリ袋や家財道具とともに唐箕が1台置かれているのが目に付きました。
目的地のわくや万葉の里・天平ロマン館に到着し、レスキュー要請をいただいた学芸員さんに面会しました。当施設じたいは街道沿の高台にあり被害はほとんどなかったとのことでした。すぐに運び込まれた町内の旧家から出た水損資料を点検させていただきました。木箱1つとつづら1つに史料が入っていましたが、いずれもぐっしょりと濡れて固まったようになっており、触るとぬるぬるした感触もありました。寛文や安政などの年号がみえる武家文書で量も相当あります。そのほかに鎧櫃が1つあり、蓋を開けて見ると鎧一領が納められているようですが、出してみることはできず、すえたような臭気が鼻をつきました。
いずれも貴重な資料であり早急な処置が必要なことは明らかで、所蔵者の意向をうけた学芸員さんと相談のうえ、文書は宮城資料ネットでお預かりして保全処置をすることとし、鎧は対応先の検討のためこれもいったんお預かりすることにしました。
涌谷町内の水損資料
その後、学芸員さんから涌谷町内の被災状況をお聞きしました。報道はされていないものの、涌谷城下町のうち江合川の堤防沿いの下町地区に床上浸水の被害があったということでした。あわせて被災ゴミに仮置き場の場所をあわせてお聞きし、そこを辞した後、当該地区に行ってみることにしました。車で通過しながら様子を見たましが、一見した限り浸水した地区の家々は平穏で、被災家具や被災ゴミの袋などはまったく見当たりません。情報がなければ通り過ぎてしまうところですが、道沿いの一軒の店舗のガラス戸には腰の高さの浸水線痕が残されているのが確認されました。
さらに教わった被災ゴミの仮置き場に向かいました。中に入らせてもらい積み上げられたゴミの山を見ていくと、雨に濡れて下張りの古文書が浮かび上がっている襖が数枚あるのが目にとまりました。現場作業員の了解を得て、枠外しなどの現場処理を実施しました。強まる雨のなかでの困難な作業でしたが、30分ほどで襖数枚分の下張りを回収することができました。
被災ゴミ仮置き場からの襖の保全
その後、すでに事務局が被災状況調査に入り報告書が出された大郷町に向かいました。羽生神社付近の水没した家屋、ついで集落全体が甚大な被害をうけた川前地区と糟川地区を視察しました。降りしきる雨のため車の中からでしたが、自衛隊の車両や重機で作業にあたる作業員や住民の姿を目にし、集落の全体に及んでいる甚大な被害の状況を改めて認識しました。さらに帰りがけに吉岡地区にも回りました、ここは一見した限り被災の様子はみられないことを確認しました。ここまでで調査を終え夕刻に仙台に戻りました。
今回の調査では報道されていない現地ならではの被災情報に接し、少量とはいえ廃棄された資料の回収を行うことができました。さらに刻々と状況が変わる被災地の様子も直接把握することができ、改めて被災現場に足を運ぶことの大切さを認識させられました。
最後になりますが、今回同行して事務局メンバーの情報収集のスキルの高さや資料回収の手際の良さを直接見聞し、かつて我々がやっていた頃とは格段に進化した技術や技法をあらためて認識させられました。それとともに今次の災害に対するこれからの作業の大変さも否応なく想像されるところです。会員ならびに関心のある皆さまには、さらなるご支援をお願いしたいと思います。(2019年10月22日記)
(付記)今回レスキューしてきた水損資料については、処理処理のための人手がすぐに必要になるとのことです。まもなく事務局から緊急ボランティアの要請が出されるとのことですので、その際にはどうか皆様のご支援を宜しくお願いいたします。