3号 8月10日(日)に桃生郡河南町で資料救出と現状調査活動を実施  新発見の史料も 

2003年宮城県地震救う―救済活動

*昨日(8月10日)、桃生郡河南町に歴史関係者のチーム26人がJRと自家用車で入り、町内の民家を訪ねて歴史資料等の現状調査をおこなうと同時に、宝が峯縄文記念館の文書・新聞資料の救助活動を実施しました。参加者は東北大学・東北学院大学の学部生・大学院生が17人、東北大学・宮城学院女子大学、宮城高専の教員などが9人でした。第1回の救済行動にたくさんの方々が駆けつけてくださったことに感謝したいと思います。

*行動は下記のように、町内の現状調査チーム4班と歴史資料の保全チームに分けて行いました。
○現状調査チーム
 第1班(前谷地・鹿又・和淵の各地区)平川新、中野(河南町教委)、金ジンスク 
 第2班(広淵地区)菊池勇夫、三好俊文
 第3班(北村地区)七海雅人、渡辺祐希
 第4班(須江地区)鯨井千佐登、田中千草
○保全チーム(宝ヶ峯縄文記念館) 大藤修、藤沢敦、井上研一郎、永田英明、千葉正樹、伊藤大介、田中智洋、椿井達也、中野渡俊治、油井航、吉川圭太、蝦名裕一、朴英吉、勝亦浩之、三神恭、栃木智子、竹原万雄、照井貴史

*現状調査チームは、宮城県文化財保護課が平成3年に作成した『宮城の文化財基本調査』のリスト、および河南町教育委員会がその後に追加把握したリストをもとに、歴史資料等を保管している個人宅をお訪ねし、直接に被災状況を確認するとともに、歴史資料等の現状をおたずねしました。調査対象は『宮城の文化財基本調査』記載の31件、町教委による追加把握9件の合計40件でしたが、21件の個人宅をまわることができました。
 家屋の危険指定を受けたお宅や、土蔵や板倉が大きく破損したお宅などもあり、地震の激しさを実感することができましたが、まだ屋内や蔵内の片づけなどを終えていないお宅が多く、復旧にはかなりの時間を必要としているようです。
 多くのお宅では無事に保管されていることが確認でき、緊急の救助活動が必要な事例はありませんでした。しかし、なかにはリストに記載された古文書は、いまどこにしまってあるか分からないという方や、被災した蔵を先日解体したばかりで、そのなかに古文書があったかもしれないなあというお宅、蔵のなかはめちゃくちゃなので古文書を入れた葛籠がどうなっているか分からないといったお宅もありました。また原本は見あたらないが残っていたコピーは町教委も把握してなかった文化・文政期の文書であったというケースもありました。これから蔵の整理をするというお宅に対しては、古文書等が見つかった場合には町教委を通じて連絡を頂ければ保全処置や史料整理等でお手伝いをさせて頂きたいと申し入れております。

*保全チームの主舞台となった宝ヶ峯縄文記念館には18人を投入して、100箱にものぼる文書箱を搬出し、倒壊した新聞棚からは大正期の時事新報や国民新聞等を救出しました。このチームは、損壊著しい文書蔵から比較的軽微な隣の蔵に文書の入った木箱を運び出す力仕事グループと、文書箱の概要を確認するグループに分かれました。
あまりにも量が多いために文書箱の全容はまだ確認しきれておりませんが、近世末から明治・大正期の帳簿類が多いようです。文書箱の移動はすみましたが、新聞は未搬出のものが少し残りました。展示室のショーケースに収納されていた縄文土器類については、藤沢敦さん(東北大学埋蔵文化財調査研究センター)が破損の程度を一点ごとに確認し、今後の対策を関係者と相談していくことになりました。

*帰りの電車の都合もあるので、この日の作業は午後4時過ぎに終えました。台風一過のすばらしい天気のもと、力仕事の保全チームはもちろん、外回りチームも汗だくとなりました。みなさんのご協力に深く感謝申し上げます。

*東北歴史博物館から、段ボールの文書箱20箱と史料整理袋1000枚のご提供を頂きました。今後ともよろしくお願いいたします。

*搬出作業中に箱等が倒壊して負傷する危険がありましたので、掛け捨ての傷害保険にはいりましたが、幸い事故はありませんでした。この保険代と当日の弁当代は、8月6日に事前視察をおこなった4人のカンパでまかないましたが、これからは口座を開設して広範にカンパを呼びかけていきたいと考えております。よろしくご協力のほど、お願いいたします。

○次の行動計画については、追ってお知らせします。

○宮城地震に関連した歴史資料の救助・保全に関するご意見や情報等については下記にご連絡ください。
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 東北大学東北アジア研究センター  平川新研究室 
    電話・FAX 022-217-7693
    Eメール  hirakawa@cneas.tohoku.ac.jp
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