7号 河南町の宝が峯縄文記念館 救済行動を終える

2003年宮城県地震救う―救済活動

*昨31日(日)に、河南町の宝が峯縄文記念館(斉藤善右衛門屋敷)で、古文書・新聞・書籍類の救出・整理と、縄文土器類の搬出作業をおこないました。

*参加者は総勢41人にのぼりました。滋賀や東京からも駆け付けて頂き、ありがとうございました。これだけたくさんの方の参加を頂きましたので作業が大いにはかどり、おかげさまで同記念館の救助活動は昨日をもって一段落することができました。御礼を申し上げます。

*作業は、①表土蔵(文書蔵)班、②展示資料館班、、③お休み処班、④小屋班、⑤美術班、⑥土器班、⑦外回り班、の七グループに分かれて行いました。

*①班では、前回に引き続き、損壊の激しい表土蔵(文書蔵)から大正時代の新聞などを隣の展示資料館に運び出しました。②班では、前回、表土蔵から搬入された古文書約90箱を箱ごとに概要把握する作業をおこないました。③班では、地震のさいに散乱した書籍類を段ボール箱に詰めて、展示資料館に運び出しました。20箱をこえています。④の小屋班でも、古文書や書籍類を段ボール箱で50箱程度整理できました。⑤の美術班は軸物や絵画などの現状を確認しました。 ⑥の土器班は、ショーケースから土器を慎重に取り出し、東北大学埋蔵文化財研究センターに搬出しました。今後そこで修復作業を行います。⑦の外回り班は、午後から隣の矢本町の旧家2軒をお訪ねして現状を確認しました。一軒のお宅では蔵一棟が完全壊滅し、私たちが訪ねたときはきれいに整地されていました。しかし庭にはいくつもの亀裂が走り、塀もすべて倒壊、1メートルほど地滑りした跡もはっきりと分かりました。残った二棟の蔵も外壁のしっくいが全面的に落ちていましたので、地震の激しさを十分に物語っていました。いずれ蔵のなかを整理するときには見て頂こうか、とのお話でした。

*斎藤家のご当主のお話によれば、蔵だけではなく母屋もかなり破損しておりますので、これの修復に頭を痛めているとのことでした。古文書や書籍類の今後の管理等についても、ご当主と相談しながら検討していくことにしています。

*なお添付ファイルに、斎藤家の被災状況と救助活動の様子をつけておきました。ご覧下さい。

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次の活動については、関係機関と調整しながら計画を立てることしています。決まりましたら、お知らせ致します。
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