105号 東日本大震災・岩沼市での歴史資料保全活動

救う―救済活動東日本大震災

 宮城資料ネット事務局の蝦名裕一です。

 4月9日に宮城県沖を震源とするマグニチュード7.1の余震が発生するなど、未だ東日本各地では余震が相次いでいます。3月11日に発生した本震の被害をかろうじて免れた建造物が、余震をうけて倒壊するなど、新たな被害の情報も寄せられています。

 4月14日の被災地調査では、4月5日の岩沼方面への視察の際に、建造物に大きな被害が確認された旧家について、再度の訪問調査を実施しました。今回は、4月12日よりボランティアで駆けつけてくれた建築士の橋本浩司さん、中村彩さん、佐藤敏宏さんにも引き続き同行をいただきました。また、現在市史編さん事業を展開する岩沼市史編纂室の室員の方々も参加して調査を実施しました。

剥離した壁土に土台を作る

 はじめに訪れたのは、江戸時代に阿武隈川で廻船問屋や舟役人をされていたお宅です。今回の震災では、地震によって母屋をはじめ土蔵や庭園が大きな被害をうけていました。特に2階建ての土蔵では、側面を縦断する大きな亀裂、白壁・海鼠壁の激しい剥落、壁板からの土壁の剥離などの損壊状況がみられました。今後、風雨や湿気による土蔵内部への被害が拡大する危険性が予期される状態でした。所有者の方も、相次ぐ余震による被害の拡大を懸念し、早急な修復の方法を模索しておられました。

 橋本さんによる内部構造の調査では、土壁の崩落は激しいものの、内部構造はしっかりしており、倒壊の可能性は低く、修復も可能ということでした。ただし、壁板から剥離した壁土の部分について、厚く塗り重ねられた壁土と海鼠壁が、今後の余震によって自重により崩壊する危険性があるとのことでした。ここで、橋本さんのご提案により、剥離した壁土の下にブロックや石を積み上げて土台を作り、応急処置を施しました。また、中村さんによれば、倒壊した石塔の修復について、最近では無色で強力な接着剤があり、十分に修復は可能とのお話をいただきました。

 次に訪れたのは、近代の大地主であった岩沼市東部の旧家でした。今回の震災では、母屋前まで津波が迫ってきたとのことでした。

 こちらのお宅では、明治期から戦前にかけて建造された作業蔵を含めた複数の土蔵があり、特に通称「衣装蔵」と呼ばれている土蔵が、北側と東側の土蔵が全面にわたって崩落していました。この蔵は明治初期の建造とのことで、1階部分の壁が煉瓦で覆われたとても特徴的な作りの蔵でした。蔵の内部も拝見させていただきましたが、部材には立派な建材が使用されており、かつ内装も欄間に彫刻が施されるなど、地域の有力者であった当家の歴史が感じられるものでした。

壁紙に裏張りされた近代文書

蔵内部の床の間では、地震の影響で壁紙が捲れ上がっており、その裏には明治期の文書類が貼られていました。これらの近代文書については、土壁の崩落にともなって雨風にさらされる危険性があったため、これらの古文書を壁から剥がし、別置することにしました。

 蔵を調査した橋本さんは、土壁が大きく崩れたものの、建造当初の基礎構造はしっかりとしており、内部構造についてはほぼ問題が無いという事でした。加えて、この蔵は現在の日本の中でもなかなかお目にかかれるものではなく、県レベルの文化財に指定されてもおかしくはない、という見解を示されました。土壁が大きく崩落した北面の壁については、佐藤さんの手によって、蔵の内部や建材に浸水が無いようにブルーシートで覆う応急処置が施されました。

ブルーシートで応急処置

 今回の調査において、橋本さん、中村さん、佐藤さんには、建築士としての専門的な調査のみならず、臨機応変な応急処置を施していただきました。余震が相次ぐ被災地では、被災した建造物に対し、こうした当面の応急処置を施すことが極めて重要な意味をもつものと言えるでしょう。また、土壁の崩落は一見すると被害のインパクトは強いが、昔の建造物の多くは基礎がしっかりしており、修復も十分に可能であるとのアドバイスには、震災による建造物の解体を憂える我々にとっても、大いに勇気づけられるものでした。これまでの我々の活動では、古文書の救出を中心としていましたが、こうした建築物への対応の重要性を認識するとともに、大変勉強になる調査でした。改めて今回遠方よりボランティアで参加していただいた橋本さん、中村さん、佐藤さんに深く感謝いたします。

 一方で、これらの歴史的建造物の震災被害からの修復、さらにはそれ以後の建造物の維持が、所有されている方々にとって大きな負担となっていることを痛感しました。土蔵が建築された時代と現在では社会状況も大きく異なり、部材も容易に手に入らず、これを担う職人の存在も僅かです。さらに、これを修復、維持する費用は個人レベルではまかないきれないぐらい高額なものとなっています。

 東日本大震災は、沿岸部のみならず内陸部の建造物も大きな被害をうけました。こうした中で、個人レベルでは維持しきれない存在となった古建築は、存続か否かの大きな局面に立たされています。これら歴史的建造物の維持は、歴史を共有する我々ひとりひとりをはじめとして、地域および国を含めた課題なのではないでしょうか。