114号 東日本大震災・旧岩切郵便局ふすまの下張り文書はがし

救う―救済活動東日本大震災

宮城資料ネット会員 佐藤麻里(東京学芸大学大学院博士後期課程)

 4月23日(土)、24日(日)の2日間にわたり、資料ネット事務局で先日のレスキュー活動により持ち込まれたふすま解体・下張り文書はがしが行われました。私は今回はじめて、ボランティアとして資料ネットの活動に参加させていただきました。その活動の様子について、報告させていただきます。

■作業の概要

 今回の下張り文書はがしの対象となったのは、4月6日(水)の歴史資料保全活動の際に搬出された旧岩切郵便局(仙台市宮城野区)のものを中心とする、約20枚のふすまです。旧岩切郵便局の建物は、今回の震災を契機に解体されましたが、多数の下張り文書を含む襖がレスキューされておりました(詳細は宮城資料ネット・ニュース102号をご参照下さい)。

組子から下張りをはがす作業
(撮影:斎藤秀一)

■作業の手順

 下張り文書はがしは、事務局の蝦名裕一さんの指揮のもと、ボランティア計16名で行いました。作業の手順は、①上張りをはがす→②下張りを水分で湿らせ、扇柄やヘラなどで剥がす、というものですが、最初は手探りの部分も多かったです。試行錯誤を繰り返し、互いにより良い方法を思いついては提案しあった結果、下張りをはがすためにはとにかく紙を湿らせることが大事だとわかり、そのためにより効率のよい方法が編み出されていきました。下張り文書の点数も多かったことから、一枚一枚の文書にはがす作業は後日にまわし、今回の作業では組子から下張りをはがすところまで確実に終わらせることにしました。その結果、約20枚の襖から下張りをはがすことができました。私は下張り文書はがしを行うのが初めてで、最初は難しいと感じることも多かったですが、皆さんのアドバイスのおかげで作業終盤にはコツを掴めました。次回以降もこうした作業参加し、習得した技術を活かしたいと思います。

■下張り文書について

 旧岩切郵便局の建物は、明治35年(1902)に建設され、宮城県の近代化遺産に登録されたものであり、松島に近世・明治期に存在した旅館「扇屋」の一部が移築されたものだとわかっています。そのため今回搬入された襖の下張りには、岩切郵便局時代のものや、近世の岩切周辺を知る古文書や書が含まれている可能性が高いと期待されていました。今回は組子から下張り全体を剥がすことに専念したため、下張りにどのような文書が使用されていたか、詳細に知ることはできませんでしたが、少し見ただけでも、実に様々な史料が含まれていることがわかりました。

下張りから現れた多様な文書群
(撮影:斎藤秀一)

 まず、建設翌年以降の岩切郵便局の業務日誌、明治14年~15年(1881~82)の「人足帳」、さらに松島の旅館「扇屋」時代の文書が見つかりました。岩切郵便局の襖も、「扇屋」から移築したものであることが裏付けられます。また、荒所起返が実施された枝野村(現宮城県角田市)の天保11年(1840)の小割帳、嘉永5年(1852)の小斉村(現宮城県丸森町)の宗門人別帳など伊具郡の村々や、盛岡藩閉伊郡(現岩手県)の地名が見られる史料が発見され、古紙の流通事情などを考えさせられます。仙台藩郡奉行の職務に関わる史料などもありました。仙台藩政を窺い知る史料は貴重だとのことで、今後さらなる分析が待たれます。その他にも手習いや書、書状など、多種多様な古文書が下張りには用いられていました。旧岩切郵便局の建物が今回の震災で失われてしまったことは残念ですが、このような貴重な歴史資料を保全できたのは本当に嬉しく、災害を乗り越え残された歴史資料を後世に伝えていくことが重要だと実感しました。

■資料保全活動について

 下張り作業の最中にも、平川新先生が石巻市で津波被害に遭った史料をレスキューしてきたということで、拝見させていただきました。一か月も経ったというのに紙がまだ湿っていること、史料から潮の匂いがすることにとても驚きました。事務局の置かれた部屋には、これまでの活動でレスキューされた様々な歴史資料が置かれており、また作業に参加された皆さんから各地の状況をお聞きし、今回の震災が歴史資料・建造物に及ぼした被害が甚大かつ広域であることを実感しました。震災の体験や生活という面において、東京にいる私が真に理解し共感することは難しいと自覚しているものの、歴史資料・建造物の保全という問題に関しては、歴史学あるいは歴史資料・建造物に関わる人間として、当事者でありたい。“現在”未曾有の大災害に苦しむ東北地方の皆様の力になり、ともに災害と向き合い、保全された歴史資料や災害の記録などの“過去”に学び、“将来”どこかで必ず起こるだろう大災害に対処できるだけの力をつけたい。そのような思いから、私は今回のボランティアに参加させていただきましたが、この2日間でその思いをより強く致しました。私たちがこのような活動をできるのも、レスキュー活動や情報収集活動の傍ら、ボランティア受け入れ体制を整備されている事務局の方々のお陰です。しかし、それはとても大変なことです。呼びかけがあった際に適切に応じることが、実は私たちに今できる一番のことなのではないかと思います。

(追記)
 今回の作業に際しては、宮城県内をはじめ、東北・関東方面からボランティアで駆けつけていただいた多くの方々のご助力をいただきました。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。(事務局・蝦名記)