120号 水損資料の保全作業に参加して

救う―救済活動東日本大震災

宮城資料ネット会員 中川 学

 「文書の入った箱のなかに、小魚の死骸があった」。資料保全の作業中に、事務局スタッフの発した言葉が今でも耳に残っている。これはまさに資料が保存された状態のまま、津波の被害を受けたことを示していると思った。

文書箱から見つかった小魚

 2011年5月7・8日、私は延べ17名のボランティアの一員として、資料ネットの仮事務局が置かれている東北大学川内南キャンパス・文科系総合研究棟にて、資料保全の作業に参加した。以下ではその概要と所感について記したい。

 今回の保全対象は、岩手県大船渡市赤崎町のS家の資料群である。これは前日に資料ネット事務局に運ばれたもので、木箱とダンボールあわせて十数箱という量であった。その多くは海水に浸り、泥にまみれるという津波のダメージを受けており、被害から1ヶ月以上たっていることもあって、カビも発生し始めていた。

 1日目には、車から資料を研究棟1階入り口前のブルーシートの上に運び出し、ナンバリングをした箱ごとにグループを作って作業を開始した。まず、箱から資料を取り出し、大きく2つに分類した。文書の固着がひどいものはトレーに入れた水に軽く浸して揺すり、表面の泥を落としたうえで、カビ防止のエタノールを噴霧した。それらの資料は真空凍結乾燥処理のため、東京・奈良等の機関へ運ばれることとなった。固着がひどくないものについては、丁ごとに泥をはけで落とし、エタノールを噴霧したうえでキッチンペーパーをはさみ、乾燥させるという措置をとった。

泥に浸かった木箱から資料を出す
資料を広げて乾燥する
作業風景(5月8日)
資料の泥を払う

 2日目も継続して作業を進め、乾燥した資料は箱ごとに仮番号を付けて、中性紙封筒に収められた。2日間ですべての資料保全作業を完了することはできなかったが、水損資料の応急措置という目的はほぼ達成されたと思われた。
 
 今回の保全作業でもっとも印象に残ったのは、資料の受けたダメージの深刻さである。私の担当した木箱は泥のなかに資料が埋まっており、竹べらを使って掘り出しても、湿った紙の固まりという状態であった。その当初は、これらを本当に救えるのかという悲観的思いがあったのは事実である。しかし、ダメージの大きい資料に関しては、奈良国立文化財研究所の真空凍結乾燥処理により、早急に保全が実施されることとなった。このような大規模災害に直面して、資料保全のバックアップ体制が諸機関の協力によって構築されたことは、非常に画期的であると感じた。

 私個人にとっては、他のボランティアとともに、水損資料の保全方法を学び、保全作業を経験できたことも非常に有益だった。これからも微力ではあるが、資料の保全作業に取りくんでいきたいと思う。