121号 東日本大震災 仙台市博物館・市史編さん室の保全活動

救う―救済活動東日本大震災

 宮城資料ネット会員の栗原伸一郎です。私が勤務する仙台市博物館では、震災以来、宮城資料ネットと連携しながら歴史資料の保全活動に取り組んでいます。博物館市史編さん室の一員である私もこの保全活動に携わることとなりましたので、これまでの活動状況についてご報告いたします。

 これまで仙台市博物館では市史編さん事業などを通して、仙台市内外の旧家・寺社・施設が所蔵する歴史資料を数多く調査してきました。震災直後から仙台市博物館では、これまでの調査先や『秋保町史』『宮城町誌』などといった自治体史に掲載された資料所蔵者をリストアップし、保全活動に備えてきました。4月20日からは、仙台市内の各地域(城下町周辺部の旧村地域)を巡回し、これまでの調査先と未調査ながら資料所蔵が予想される旧家を訪問して、歴史資料の被災状況を調査しています。

 巡回調査では、博物館職員など3・4人が旧家を訪問し、歴史資料の所蔵の有無や保管状況などについて聞き取りを実施するとともに、場合によっては家屋や資料の撮影を行っています。その際、訪問先では、資料保管を呼びかけるチラシや、宮城資料ネットが石巻で実施した保全活動を伝える新聞記事のコピーをお渡しし、地域の歴史遺産を未来に伝えていくことの重要性を説明しています。5月6日までに73箇所の旧家や寺社を訪問しました。

 今回の巡回調査では、通常の調査と異なり、訪問先に対して事前に電話や書面で連絡をしませんでした。今まで調査したことのない所蔵者の場合、こちらが念頭に置く「文化財」や「歴史資料」が何を指しているのか分からないことが多いでしょうから、実際にお会いして説明しなければ、なかなか活動の趣旨を理解してもらえません。また、連絡をした際に先方が訪問自体を拒否すれば、その後の展開が絶たれてしまいます。こうした理由から事前に連絡せずに訪問しましたが、幸い多くの方々に好意的に対応していただきました。お忙しいなか、お話を聞かせていただいた方々に、この場を借りて深く感謝を申し上げます。

 太平洋から奥羽山脈にまで及ぶ広大な仙台市では、津波被害を受けた沿岸部とそれ以外の地域では歴史資料をめぐる状況が大きく異なります。沿岸部の田園地帯にあり、一階が浸水するなど大きな被害を受けた旧家では、資料か何かも分からず、泥を被ったものを棄てているという話を伺いました。また、その近隣の旧家では、ご当主から歴史資料を所蔵しているかのような発言がありましたが、多くを語ってはいただけませんでした。こうした津波の後片付けに追われているお宅では、周囲の居久根に車が押し流されているような光景が広がり、我々も深くお尋ねすることが憚られるような状況でした。

 一方、津波被害がなかった地域では、地震による保管場所の損壊などによって歴史資料を廃棄したという事例が少数ながら確認されました。未調査宅のなかにも、大きな被害を受けている古い家屋や蔵が見受けられることから、今後も今回の地震を契機とした資料廃棄の可能性が想定されます。また、家屋の建て替えや代替わりがあったという旧家では、地震被害とは関わりなく、資料の所在が不明となっている場合もありました。予想はしていましたが、巡回調査を通じて、仙台市内にある歴史資料も非常時・平常時それぞれに発生する事情のために、危機的状況にあることが確認されました。

 今回の訪問先のうち約3分の1は、これまで仙台市博物館で何らかの調査をしています。何十軒というお宅を訪問して強く感じたのは、そうしたお宅では、普段から歴史資料を大切に保管されている方が多いということです。以前に古文書を調査させていただいたある方は、地震によって母屋が大きな被害を受けたため、別の場所で生活せざるを得なくなっていました。しかし、そうした困難な状況であるにも関わらず、古文書を母屋から被害の少なかった蔵に移して保管しておられました。そして、母屋の中から新たに発見された近世・近現代の資料についても、我々がその価値を説明すると、大切に保管したいと話して下さいました。自分が所蔵する歴史資料の内容や価値を認識された方は、今回のような大災害に際しても、その保存に心を配って下さいます。言われ尽くされたことですが、平常時の地道な調査・保全活動が、地域の貴重な歴史遺産・文化遺産を守るための近道であることを実感しました。

 また、今回初めて訪問したお宅でも、新たに歴史資料の存在が確認され、その保管を意識していただける場合も数多くありました。近世期に肝入を務めた旧家では、ご当主は所蔵されている近世文書から家の由緒が分かるかもしれないと思いつつも、自分では解読できないとの悩みをお持ちでした。そのため、博物館で資料整理ができる旨をお伝えすると、大変興味を持たれたご様子でした。また、村役人を務めたと思われる旧家では、今回訪問したことで、所蔵されている屏風や古文書について調査してほしいとの思いを強くされたようでした。

 市内を巡回するなかでは、思わぬ偶然もありました。とある旧家と間違えて訪問してしまったお宅が、明治期に村長を輩出した家だったのです。ご当主は地域の民具の保全に尽力された方で、自宅にも文書資料や道具などが残っているとのことでした。また、調査中に駐車場をお借りしたお店の方と話したところ、そこは大正期に村長を輩出した家で、小学校建設に関わる近代資料をお持ちであるとの情報を得ることができました。こうした方々には、改めて資料調査のお願いをしたいと考えています。

 ただ、巡回調査が全て上手くいったわけではありません。事前に連絡をしていませんので、不在であったお宅もありましたし、在宅中であっても突然の訪問に警戒感や不快感を示されたお宅もありました。家屋を新しくされたあるお宅では、最後まで玄関のドアを開けていただけなかったためインターホン越しでの会話となり、古い門構えが印象的な地域有数の旧家では、「ウチは古い家ではない」と門前払いされてしまいました。また、建物に被害を受けた旧家の方から聞き取りを行い、許可をいただいて家屋などの撮影を始めたところ、帰宅された別の方から調査を許可していないと咎められ、調査が継続できなかったこともありました。

 所蔵資料に対する意識は人それぞれですから、訪問した際に応対して下さる方―ご当主か否か、年配の方か否か、など―によって、不意の訪問者である我々が教えていただける内容も変わってきます。また、平常時でも自家の所蔵品を他人に語ることや写真に撮られることに抵抗感をお持ちの方は、自らが被災者となっている災害時では、そうした思いを更に強くされているでしょう。震災直後の落ち着かない時期では、訪問しても迷惑がられる可能性が高いですが、そうかと言って時間が経ってしまうと、歴史資料が廃棄されている可能性が高くなります。巡回調査を通じて、歴史資料の保存を呼びかけるタイミングや具体的な方法など、改めて災害時における調査の難しさを痛感することにもなりました。

 しかし、失敗を恐れて待っていたのでは、消滅の危機にある歴史資料を救い出すことはできません。こうした巡回調査は今後も継続し、被災資料の情報収集に努めていきたいと思います。今後の状況によっては、レスキュー活動を実施することもあるかと思います。その際は、宮城資料ネット会員の皆様にもご協力をいただきたく、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 なお、この調査活動には、複数名の宮城資料ネット会員(『仙台市史』執筆担当者や仙台市博物館職員)が参加しました。