125号 震災の傷跡から語りかける、新たな歴史資料群―栗原市・大崎市の被害調査から―

救う―救済活動東日本大震災

 宮城資料ネット事務局の蝦名です。

 震災から2ヶ月が過ぎ、梅雨の季節が近づいてきました。事務局には毎日のように資料レスキューの要請が寄せられ、私達も毎日のように県内を飛び回っています。同時に、活動にあたっては多くの方々から、カンパやボランティア参加によるご協力とご声援をいただいています。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 5月11日は栗原市と大崎市方面の被災状況を調査に伺いました。ふたつの市がある宮城県北部は、今回の東日本大震災で最も揺れの大きい震度7を記録した地域です。各地で聞いた話では、3月11日の本震のみならず、4月7日に発生した震度6強を観測する余震でも大きな被害を受けたとのことです。

襖の下張りから現れた

 最初に訪れた栗原市O家は、地震で母屋が甚大な被害をうけていました。応急危険度判定では「危険」と診断され、地盤の沈下により家屋の基礎が傾き、家屋内も土壁が崩落するなど深刻な被害がみられました。その中で、破れた襖の裏に古文書が確認され、戊辰戦争時の軍費調達に関わる文書が確認されました。母屋裏には、駒形根神社から分祀された屋敷神の社と土蔵がありました。とりわけ土蔵は随所に素晴らしい鏝絵(こて・え)の装飾がされた壮麗なものでしたが、側面の土壁が全面的に崩落する被害をうけていました。ここでは明治から昭和にかけて、同家を中心におこなわれていた講に関する文書群や、和本類が保管されていました。

 次に訪れたのは、大崎市のM家でした。今回の震災では、土蔵の土壁がいたる所で崩落しており、文書蔵2階は、震災の影響で収蔵物が崩落していましたが、随所に大正期から昭和初期にかけての経営に関わる帳簿や書類が確認されました。その量が膨大であるため、今回は資料の被災状況を確認するのみでしたが、今後資料を分析することで、同家の経営の歴史が解明されるものと思われます。

襖右上部からのぞく古文書

 最後に訪れたのは、大崎市古川地区のS家でした。近代に入ってからの分家なので歴史的な資料はないだろう、というお話でした。しかし、被災状況を調査させていただく中で、蔵の中に保管されていた襖の破れ目から、下張りに近世の古文書が確認されました。ご当主のお話では、その襖は本家から譲り受けたものであるということでした。文書という形ではなく、襖という形で歴史資料が移動する。この事実に、私自身少なからぬ驚きを覚えました。

 東日本大震災が地域に甚大な被害を与えたことは言うまでもありません。一方で、震災によって砕かれた襖から新たな歴史資料群が発見されるように、その傷跡の中にも地域再生の芽が隠されています。現在、震災被害からの復旧活動が一段落した地域では、震災によって被害をうけた歴史的な建造物の解体や撤去が急速に進んでいます。復興に向けた歩みである以上、それを止める事は困難です。我々が出来ることは、限られた時間の中で、ひとつでも多くの資料をレスキューすること、それが将来的な地域再生の一助になると考えています。