128号 東日本大震災 残され、伝えられる開発の証-仙台市

救う―救済活動東日本大震災

 事務局の佐藤大介です。今回は仙台市における保全活動の報告です。

 仙台市の沿岸部は、本ニュース121号の栗原伸一郎さんから報告があったように、今回の津波で大きな被害を受けました。宮城資料ネットでも博物館や市史編さん室と連携して仙台市域での活動に取り組んでいますが、その中で5月10日、同地域にお住まいの方から海水で濡れた古文書の応急処置について相談をいただきました。ご自宅をボランティアに依頼して後片付けをしていた際、古文書の入った文箱が見つかったということでした。私たちの活動については知り合いの方から教えていただいたという事で、その日の夜に史料を直接事務局に持ってきていただきました。

事務局に持ち込まれた古文書
エタノール噴霧後の吸水作業

 黒塗りの文箱は、ちょうどA4版のノートが収まるほどの大きさで、中には30点ほどの古文書や巻物がぎっしりと収められていました。ご先祖は伊達政宗に武芸の指南役として召し抱えられ、現在お住まいの地を与えられたということでしたが、まさしくそのことを証明する内容の史料でした。幸い、水濡れの程度は比較的軽かったので、事務局でエタノールを噴霧した上で乾燥することにしました。

 一方、古いものを置いていた納屋は津波で流されてしまったが、いくつか残ったものはご自宅に置いてある、実際に被災した地域の様子を現場で説明してもいいですよ、というお話がありましたので、大変な状況とは知りつつも、お言葉に甘えて5月16日に現地を訪問させていただくことにしました。当日は仙台市歴史民俗資料館の畑井洋樹学芸員と事務局3名でおうかがいしました。

 海沿いの集落に向かう途中は、これまで訪れた被災地と同様、水田の中にまだ多くのがれきや乗用車などが放置されたままになっていました。江戸時代初め以来という鈎曲の道筋が残されている集落の家屋はもとの形を留めているものも多く、海岸沿いの防潮林が津波の威力をある程度押さえたという報告を裏付けるものかと思われました。それでも、大半は一階部分が押し流されたり、窓ガラスや壁に浸水した跡が残されており、犠牲者を収容したことを示す白い「×」印も目につきました。

 御当主によれば、文箱は普段床の間に置いてあったが、津波で床が抜けてそのまま下に落ちていた、家が壊れてしまうような津波だったのによく流されずに残っていたと思う、とのことでした。今回の史料も奇跡的に残されたといえます。また御当主のお母様からは、この辺りに大きな津波が来たという話は全く聞いたことがない、去年のチリ地震のときも警報は出たが津波が来なかったので今回も大丈夫だと思っていた、孫と一緒に避難したが一人だったらどうなったか、というお話をおうかがいしました。ご自宅には古い書類などは確認できませんでしたが、災害当時の状況や今後の復興に向けた思いなど、貴重なお話をおうかがいすることができました。

 今後は移転などにより、同家が暮らした江戸時代初期以来の集落が消滅する可能性があるということです。しかしその場合でも、これまでの集落の歴史をきちんと調べ、新しいまち作りはその成果をきちんと踏まえたものとしたい、という御当主のご意向をおうかがいしました。

 今回保全した古文書には、江戸時代初めからの家の由緒に加え、地域づくりのよりどころという新たな意味が加わることになりました。お預かりした史料は全点の撮影と中性紙封筒への袋詰めを終えています。今回保全した史料をどのように活用してゆくか、集落の歴史調査という事も含め、地域の方や関係機関とともに考えていきたいと思います。