132号 東日本大震災 「瑞雲」の下で - 気仙沼市唐桑町の被災古建築保全活動

救う―救済活動東日本大震災

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。震災発生から三ヶ月が過ぎました。徐々に復興への歩みが始まっていますが、沿岸部を中心に被災地は依然として厳しい状況が続いております。


今回は、気仙沼市唐桑町での被災古建築保全活動に関するレポートです。6月7日と8日の両日、現地での活動を実施しました。(右絵:蔵の壁に貼ったブルーシートの調整をする)

今回おうかがいしたのは、以前に宮城資料ネットで古文書資料の保全活動を行った個人宅です。今回の震災を受け、4月30日に被災状況の確認におうかがいしました。お宅の所在する地区も津波で壊滅的な被害を受けておりましたが、幸い同家は被災を免れ、古文書資料も無事保管されていました。古文書が保管されていた土蔵も、柱などの構造には大きな問題は見られませんでした。しかし、土蔵の中が見えてしまうほどの土壁の崩落が二箇所でみられ、収蔵してある古文書資料が雨で濡れてしまう心配がありました。そこで、30日には雨に濡れない場所に古文書を移動する一方、壁にブルーシートを貼り付ける応急処置を行いました。


一方、前回の調査後、5月末の台風2号に伴う豪雨と強風により、応急処置を行った壁の破損と、それに伴う古文書資料の水濡れが懸念されました。また、崩落した壁土によって床下の通気が遮断され柱が腐朽していく可能性があり、こちらの対応も必要でした。(右絵:崩落した壁土を掘り起こす)

あわせて、前回の調査では、明治30年代前後に建てられた母屋や土蔵などの施設を、周辺の地形など含めた記録化を行いたい旨を提案し、ご了承をいただきました。これについては宮城資料ネット建築班の佐藤敏宏氏が、東京や金沢、関西地区の建築士や建築専攻の学生による調査チームを編成し、7月に実施することとなりました。今回の活動は、その事前調査も兼ねています。先遣隊として、東京大学生産技術研究所講師の太田浩史氏と、ゼミ生など8名が参加しました。

建物保全は、崩落した土をスコップなどで掘り起こしてガラ袋に詰め込む作業です。この壁土は、将来条件が整った場合には修覆に利用することもできます。日頃馴れない作業で、手のひらの皮はすりむけ、ひざや腰など体中が痛くなりました。しかし、壁土は高さ50センチ、長さ10メートルほどにわたって積もっているため、これを2日間ですべて撤去し保全することはできませんでした。今回は、2メートルほど掘り進んで、文書が保管された土蔵東側の床下への通気を確保したところで作業を終えました。これと平行して、土蔵の調査も実施し、文書が保管されていた東側部分の実測を終えました。


その一方、地域の目下の課題は、どのように地域を復興していくかということです。行政区長も勤められている御当主からは、ご自身の先祖や地域の人々が何百年ものあいだ海に関わって生活してきたことを踏まえて、今後の復興を考えたいというお話がありました。今回は私たちや留学生も含む東京からの参加者に、自宅や地域の様子を熱心にご案内いただきましたが、唐桑の自然環境や災害後の現状と課題を知ってほしいという御当主の思いに触れることとなりました。(右絵:壁土を袋に入れて保管する)

御当主のご意向に沿った形での復興プラン作りへの関与は、歴史資料保全の分野としては、これまでの調査データの提供などに限定されると思われます。一方、私たちの活動もふくめ、これまでの歴史的な調査成果がどのように反映されるかを見守ることは、研究成果の社会還元という課題と決して無関係ではありません。気仙沼市唐桑での取り組みは、分野横断による地域の記録とその社会還元を考える上で、一つのモデルケースとなるのではないかと個人的には考えております。

今回の調査中には、「瑞雲」(彩雲)が見られました。古くから吉兆のしるしとされてきた大気の光学現象です。御当主からは、大きな災害の後で見られると伝えられてきたが、今回も大津波の後から見られるようになった、これから明るい方向に向かう兆しではないか、というお話がありました。唐桑での復興に向けた取り組みが、そこに住む方々の意向を踏まえ、前向きな方向で進んでいくことを強く願わざるにはいられません。