134号 東松島市での資料保全活動

救う―救済活動東日本大震災

仙台市歴史民俗資料館 畑井洋樹


 今回は6月6日(月)に東松島市で行った保全活動についてレポートします。

 当日は事務局のお二人とともに鳴瀬川河口から3キロほど上流、東松島市役所近くの住宅地にあるE家で保全活動を行いました。(右絵:確認された「風土記御用書上」)

 震災当日はこの住宅地も津波に襲われ、家々の流出はなかったにせよ、住宅地一面が「湖の中で孤立した状態」となり、E家も一部で床上浸水したそうです。震災から約3カ月を経過した訪問時も一部の床面で湿気が感じられるところがあり、住宅内に入り込んだ水分が容易には抜けないことが体感されました。

 E家には掛軸を中心に文書も含めて7,80点の資料が残されていました。縁戚に近隣の土地を所有した地主で明治時代には村長も勤めた家があり、これらの資料は約30年前にその縁戚関係にあった家が取り壊される際、移管してきたものとのことでした。震災以前は他にも多数の資料が敷地内の倉庫に保管されていたそうですが、倉庫は津波で床上浸水したため、水損、汚損した資料の多くは廃棄処分されたようです。


 残された資料の中には、安永年間の地域の様子を詳細に記した「風土記御用書出」があったほか、仙台藩の御用絵師と思われる銘の入った掛軸や屏風、扁額などもあり、当地の文化交流の深さがうかがわれました。また、何らかの水路の浚渫に関わる人名簿、明治時代中期の徴兵関係の個人資料もみられ、近世から近代へと時代が移る中での地域の産業の変遷、個人の生き方の変遷をも示す多様な資料が見られました。いずれの資料も状態は良好でしたが、E家の了解を得て、清掃と写真撮影を行うため一時的に事務局へと搬出しました。(右絵:地域の生業を示す近代文書)

 今回は津波被害を免れた資料を対象とすることになりましたが、震災から時間を経ずに訪問できていればレスキューすることができた資料があったかもしれません。また、このような災害に遭う以前に地域の文化財の残存状況が把握できていれば、より迅速で効率的なレスキューができたとも思われました。これまでの活動の中でも明らかになっていますが、これらの点は今後の活動に広く活かされるべき課題となるでしょう。


 また、仙台への帰路、鳴瀬川河口の野蒜築港跡を視察しましたが、石積みの護岸はところどころで崩れ、応急の土のうが積まれたところも散見され、築港の痕跡も一部では消失していることも懸念される状況でした。(右絵:津波でえぐられた堤防)


 自衛隊による捜索活動、瓦礫の撤去作業もまだまだ続いているような状態ですが、このような史跡被害の確認もいずれは求められることと思いつつ現地を後にしました。
(左絵:被災した野蒜築港の遺構)