135号 亘理町荒浜での資料レスキュー

救う―救済活動東日本大震災

日本学術振興会特別研究員PD(東北大学) 小関悠一郎


2011年6月10日、亘理町荒浜のM家で行われた資料レスキュー活動について報告します。宮城資料ネット・ニュース101号でも報告されている通り、荒浜地区は津波の被害が甚大で、大きく破壊された家々と所々に付された犠牲者収容の印が現在も残されています。M家も外壁に津波の高さを示す跡がはっきり残っておりました。作業当日立ち会われた奥様は、地震発生当日、津波が押し寄せたため、お宅の庭にあるキンモクセイの木によじ登り、寒さの中そのまま3時間ほど過ごされるなど、大変なご苦労をされたとのことです。(右絵:倉庫から資料を搬出する)

今回作業が行われたM家は、江戸時代から荒浜に住んで問屋を営み、浦役人を務めた旧家です。阿武隈川舟運や東回り海運に関する文書など多数の資料をご所蔵で、2002年12月から奥羽史料調査会によって、現地調査(袋詰め・写真撮影)と目録化作業が行われました。今回の活動は、その際に中性紙封筒に詰められた文書などの資料搬出、および資料が保管されていた倉庫の整理・点検が作業の中心となりました。


作業メンバーはまず、亘理町立郷土資料館(悠里館)に集合し、M家や亘理町教育委員会の方々らと合流しました。同館での集合には、奥羽史料調査会での調査等、以前からM家に関わってこられた斎藤善之さんも、大学での講義の直前に駆けつけられました。(右絵:搬出された資料)

そこからM家に移動し、宮城資料ネットの蝦名裕一さんの陣頭指揮の下、作業が開始されました。作業は主に母屋と倉庫で行われました。母屋では、二階から軸物類を、床板をはがすなどの処置が施されていた一階の居間から額装された古文書をそれぞれ搬出しました。

倉庫の方は、窓ガラスが大きく割れ、壁の下方の一部がへし折れて穴があいたようになっており、そこに多くの物が散乱した状態でした。作業は、倉庫内にある物品を倉庫脇のスペースに運び出して、それらを点検・整理し、倉庫に戻すという流れで行われました。点検・整理は、教育委員会やM家の方を中心に行われ、資料館への搬出物、処分する物品(廃棄物として道路脇の仮置き場に運搬)、倉庫内に戻すもの(数人がかりでの作業が必要な什器類も多数)に分けられました。点検・整理の後、倉庫内の砂や泥を掃き出し、風雨の浸入を防ぐため、破損した窓に段ボール等で応急処置を施した上で、物品を搬入して整理し、倉庫での作業は終了しました。


最後に、搬出資料を亘理町立郷土資料館(悠里館)に運び入れました。予めまとめておいていただいた未整理の下張り文書段ボール一箱分については、宮城資料ネットで整理することになっています。

以上の作業の中で、様々な道具類やその箱、そこに記された品名や年号の墨書を目にしました。なかには、背に江戸時代のものと見られる古文書数点が貼り付けられた箪笥も見られましたが(これについてはデジタルカメラでその写真を撮影)、これらはM家や荒浜地区の歴史の一端を示すもののように思われました。共に作業し諸資料について話もしたM家の方は、こうした資料に関する様々な知識を持ったメンバーに来て整理してもらって本当によかったと仰っておられました。今回の作業が、地域と住民の皆様の前進の一コマになればと願っています。(右絵:屋から搬出された額装の古文書)


(追記)
M家の御当主につきましてはメールニュース101号にて「亡くなられた」と記しましたが、ご健在であることが確認されました。ニュースの当該部分は取り消します。合わせて、関係者の皆様にご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。
今回のレスキューは、御当主からのレスキュー要請に基づき、亘理町教育委員会、文化財救援委員会現地対策本部との協同で実施しました。(事務局・佐藤大介)