136号 陸前高田市での資料レスキュー

救う―救済活動東日本大震災


 宮城資料ネット事務局の蝦名裕一です。 震災から3ヶ月が過ぎました。梅雨時をむかえ、津波で被災した資料の状態もかなり悪いものも目立つようになりました。歴史資料のレスキュー活動も時間との戦いになりつつあります。(右絵:地盤が沈下した陸前高田市の海岸線)

 6月12日、岩手県陸前高田市へ歴史資料のレスキューに赴きました。東日本大震災では、3月11日に発生した大津波が同市の市街地を襲い、その高さは20メートルまで駆け上がったともいわれています。津波から3ヶ月、市内に入る山道を下った我々が見たのは、山裾から海岸まで見渡せてしまう程に、壊滅的な市街地の惨状でした。陸前高田市は震災により地盤が84センチも沈下し、以前は陸地だった場所の多くが海面の下に沈んでいました。かつて我々が岩手県南で調査をする際によく訪れていた道の駅や、その近くにある風光明媚な高田松原も、無残な姿となっていました。


 今回訪問した地域は、海岸から1.5㎞離れた小高い丘陵地に位置していました。一見、山あいにあるように思われるこの地域にも、今回の大津波が押し寄せました。訪問先のご主人のお話によると、震災の日は東側の海岸と西側の海岸の両側から波が押し寄せ、この地点で渦を巻いていたそうです。資料が保管されていた土蔵は、もとあった場所から50メートル先に流されていました。また、土蔵と併設していた母屋は完全に消滅していました。後日、母屋に置かれていた手紙類は、後日海岸線で活動していた自衛隊に回収され、ご主人のもとに届けられたそうです。改めて、震災大津波の凄まじさがうかがわれます。(右絵:津波によって流された土蔵)
 
 土蔵に保管されていた一部の資料は、いち早くご主人と郷土史家の方の手によって土蔵から搬出され、乾かす作業をおこなっていました。いち早くこうした対応をしていただいたことで、資料の状態は比較的良好であり、近世後期から明治期にかけての古文書が多数確認されました。また、土蔵2階に残る刊本類を調査したところ、同地のユネスコ活動に関わる資料が発見されました。このユネスコ活動は、かつての同家のご当主がユネスコ学園や日本初となる民間ユネスコ図書館を設立したもので、のちに岩手県で展開する民間ユネスコ運動のさきがけになりました。資料の多くは津波に浸水しておりましたが、学園で用いられていた卒業証書や入学案内、独自に発行していた新聞や校長先生の草稿などをレスキューしました。これらの資料は、事務局でお預かりし、水損被害に対する応急処置を実施しています。


 作業の中で、前述のご当主の資料を管見すると、終戦直後の荒廃した日本の姿を目の当たりにしながらも、戦後の日本の再生を担う若い世代への教育に希望を見いだし、私財を投じて教育活動に取り組んだひとりの教育者の姿が浮かび上がってきます。こうした先人の姿は、現在震災によってうちひしがれた人々の心に、ひとつの希望を与えうるのではないでしょうか。一介の歴史研究者として、現在の資料レスキュー活動によって地域の資料を守ること、そこに描かれる地域の先人達の活動に新たに掘り起こすことが、被災地再生の一助に繋がることを願ってやみません。(右絵:土蔵2階でのレスキュー状況)