137号 再びの雄勝町-石神社所蔵文書レスキュー

救う―救済活動東日本大震災

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。今回は6月16日に実施した石巻市雄勝町での活動報告です。


石巻市雄勝町の石(いその)神社は、国の重要無形民俗文化財となっている「雄勝法印神楽」を伝承してきた神社です。3月11日の大津波で社殿や神楽の道具の一部が流失するとともに、神楽保存会の会長さんが犠牲になられました。当初は存続を危ぶむ声もありましたが、5月28日に雄勝総合支所前で震災後初の興行を行い、新たな一歩を踏み出したところです。(右絵:雄勝総合支所庁舎の横断幕)

その石神社に伝えられた古文書のレスキュー要請が、石巻市教育委員会を通じてあったのは6月14日のことでした。津波で水損した文書が見つかり、中には神楽に関わるものが含まれているということで、即座にお引き受けし、日程調整して16日午後におうかがいすることになりました。地震発生後初めての被災地訪問で、以前に調査した古文書1万2千点の消滅を確認した、あの4月4日以来の雄勝町行きです。


前回と同様、三陸道を降りた後は北上川南岸の堤防上を通って雄勝に向かいます。津波で破壊されていた新北上大橋近くの堤防は、急ピッチで復旧が進められていました。雄勝町中心部ではがれき撤去が多少進んでいましたが、ビルの上の観光バスはそのまま、人通りも全くといっていいほどありませんでした。やはり津波で大きな被害を受けた総合支所の庁舎には、全国からの支援への感謝と「おがつ ふっかつ 絶対勝つ!」のスローガンを記した横断幕が掲げられていました。その支所を横目に、津波でずたずたになった防波堤際の道路を通って、石神社に到着しました。(右絵:被災した古文書の一部)

 若い宮司さんのお話によれば、古文書や神楽の道具を保管していた社殿が流失した際、屋根の部分に偶然にも床がはまり込んで、その中に文書などが収まった形になったようだ、ということでした。さらに屋根は湾の入り江にある小島に引っかかって流れていかなかったのも幸いだったとのことです。屋根が見つかったとの知らせがあったのが3月30日で、4月はじめから資料探しを始めたが、近くに犠牲者のご遺体が流れ着いて作業を中断する、ということもあったとのことです。

古文書については、ご自分で乾かしていたということで、適切な対応もあって比較的良好な状態でした。ただし、それでも水濡れのひどいものや、乾燥する中で紙が張り付いてしまったものも含まれていました。文書の中には事前の情報通り、江戸時代中頃の神楽に関する資料がありました。さらに祝詞を記した古文書2冊は、現在上演されている神楽でも使っているものなので、特に至急の対応を依頼されました。ご許可を得て数百点にもおよぶ古文書や、郷土史家でもあった先々代の宮司さんがまとめた地域史に関する原稿などすべての資料をお借りし、早速仙台の事務局で乾燥やクリーニングなど必要な対応を始めています。


今回レスキューした古文書は、まさに地域の伝統芸能に用いられ、そこに暮らす人々のよりどころとなっている「生きた」史料といえます。その復旧に関わるという責任の重さを痛感しているところです。(右絵:元文4年(1739)の神楽関係文書)

雄勝法印神楽は、この秋鎌倉市で上演される事になりました。今回レスキューした古文書も、この興行で用いられることになります。その一方、今回の津波により、神楽に用いる面や道具の多くが失われてしまったとのことです。

 600年間守り伝えられてきた地域文化を、さらにこの先へと伝えてゆくためには、多くの方のご支援が不可欠です。この紙面を借りて、雄勝法印神楽の復興に向けた取り組みに対し、全国の方々のご支援を、よろしくお願い