144号 栗原市金成有壁における資料レスキュー

救う―救済活動東日本大震災

宮城県美術刀剣保存協会  後藤 三夫

1) スタート
7月29日、栗原市教育委員会文化財保護課大場亜弥さんと金成有壁館下の萩野公民館・萩野出張所で、蝦名さんと現地集合ということでレスキューに参加した。当日はうす曇で、暑くもなくまた心配された雨もおかげさまで降らずじまいで、格好のレスキュー日和といったら不謹慎だが、幸先良いスタートを切れた。
東京から御当主の関係者が立合いにこられるためか、開始が午後1時からだったので夕方までに完結できるか多少不安があったが、蝦名さんの的確な指示のお蔭と大場さんの大活躍もあり、予定内で完了することが出来た。


2)周辺環境
ここ有壁は秀吉の奥州仕置前の大崎・葛西の重臣が固めた中世城館があり、また江戸期の宿場町で現在も国指定史跡の旧有壁本陣が威容を誇っている。主に松前・南部藩・八戸藩・一関藩の宿泊所であり休憩所であった。この町の北を登ると林に囲まれた街道が続き林内の獣道のような細い道を左折すると、明治初年以来忘れられていた江戸期の姿のままの奥州街道がある。そこから難所の肘折坂を経て一関藩内に通じる古道である。緑と清流に囲まれた静かで文化遺産に恵まれた美しい町並みが印象的だ。


3)現状
この宿場町のあちこちで今回の震災の被害が見られ被害の大きさを今もって生々しく見せている。被災したまま手付かずの旧家が数件見られた。大場さんにも引き続き現地情報を得ていただくよう、蝦名さんからお願いしたところである。
 今回のレスキュー先は昭和初年の建築建屋だが、代表的日本家屋で取り壊されることがとても残念な建造物だった。道路に面して母屋・瀟洒な離れ・土壁の土蔵で構成されすでに取り壊し準備のため、周辺の草刈が完了し大型のパワーショベルが待機していた。

4)レスキュー
大小の襖、近代の教育資料などが主だが、毛筆の古文書も数点散見された。立会人の見守る中で、タイムカプセルのように当時の御当主の生活そのままに残っていたかばんの中から、亡御当主の大事な情報の詰まった書類を発見した時、このまま処分されずに済んだことに、改めてレスキューのやりがいを強く感じた。

5)蔵開け隊
土壁の土蔵は今回のレスキューのために鍵を壊して入るという、所謂蔵開け隊そのものだった。貴重な民俗資料、蔵の梁も今では有得ない贅沢で貴重な材料で構成されている。御当主関係者に、もったいないし、この町にはとてもよく似合うものなので、いつか残しておいて良かったという日が来る筈と話したところ、蔵は取り壊さず残すことを決断頂き、とてもうれしかった。蝦名さんの車に満載の状態でレスキューした資料を詰め込み、母屋と離れに今までの活躍を感謝しお別れした。


6)さいごに
当日御当主関係者と建設関係者に加わり、大場さん、蝦名さんともに安全祈願と、取壊しのお祓いに臨席できたことも付け加えたい。レスキュー隊員も一緒になって百年近く活躍した建物を祝福し心ならずも見送ることに参加できたのは望外の喜びであった。
(建築は100年前でもその係累は江戸・明治を彷彿とさせる古い形を伝えてくれる素敵な建造物であったことを明記しておきたい。震災さえなかったら、それでも修復して利用できたらと帰路の車中で苦悶するくらい、いい建物だったなあと今でも悔しい思いです。)