147号 奈良への旅-津波被災資料の凍結乾燥処理

救う―救済活動東日本大震災

宮城資料ネット事務局佐藤大介です。8月12日、奈良文化財研究所(奈良市)と、その協力企業である奈良市場冷蔵(大和郡山市)を訪問しました。

この震災では、津波による古文書や文書資料の被害への対応が最大の懸案となっています。ずぶ濡れになった文書資料を大量に乾燥する方法の一つが「真空凍結乾燥法」です。水濡れした資料を一旦マイナス30度程度で凍結させた後、真空凍結乾燥機により直接水分を気化(昇華)させ、乾燥するというものです。


真空凍結乾燥機は、通常は遺跡発掘で得られた木製品などを乾燥するために使われています。今回の事態に対して、東北芸術工科大学文化財保存修復センター(山形市)と奈良文化財研究所(奈良市)から、文書の乾燥に機材提供の申し出を得ました。宮城資料ネットからはあわせて7件の文書をそれぞれの機関に送り、凍結乾燥を依頼しています。各機関では現在もスタッフやボランティアの方々により、処理が続けられているところです。(右絵:奈良文化財研究所の真空凍結乾燥機)

今回は、奈良文化財研究所の高妻洋成さんから、女川町木村家文書など乾燥が終了した資料の状態確認の依頼があり、事務局より佐藤が奈良に出張してきました。

奈良文化財研究所からは、4月下旬に宮城資料ネット事務局に直接連絡があり、同研究所に設置されている国内最大の真空凍結乾燥機の利用などの協力の申し出をいただきました。その一方、研究所では膨大な津波被災資料の凍結をどのように行うかが課題となりました。研究所の冷凍庫だけでは不足する中、協力を申し出たのが奈良市場冷蔵です。奈良文化研究所での対応と、冷凍設備の不足に対する懸念ついての記事が新聞に掲載されたのをきっかけに、会社から奈良文化財研究所に協力の申し出があったとのことです。


最初に訪れた奈良文化財研究所では、処理に用いられている真空凍結乾燥機を確認しました。直径1.6メートル、コンテナ約120個分が処理できる機械では、この日も被災資料の乾燥処置が行われていました。今回は主に木村家文書の視察でしたが、この他にも気仙沼市や仙台市の被災資料が処置を終え、コンテナで積み上げられていました。木村家文書ですが、去る5月12日に女川町から引き取った時、文字通りずぶ濡れだった資料は、処理を経て見事に乾燥していました。ここでは仙台への返送に備え、資料1点ごとの点検と袋詰めを行いました。(右絵:乾燥済み資料の入ったコンテナの中で資料を確認する)


その後、12日夕方には高妻さんのご案内で、大和郡山市の奈良県中央卸売場にある奈良市場冷蔵を訪問しました。同社の浦島申次さん、伊藤珠樹さんにご案内いただき、冷凍倉庫の中を確認しました。フォークリフトで荷物の出し入れが忙しく行われる中、冷凍食品が保管されている倉庫の一角に、防カビなど収納のために必要な処理がなされた被災資料が3メートル近くの高さで積み上げられていました。これらの資料は、今後も順次乾燥処理がなされていきます。(右絵:フォークリフトが行き交う奈良市場冷蔵の倉庫)
 
なお、乾燥後の資料には、依然として海水に含まれる成分は残った状態です。これらの成分が、特に和紙資料にどのような影響を及ぼすのかわからない現状では、塩抜き(洗浄)その他の工程で「修覆」することが不可欠です。奈良文化財研究所で乾燥された資料の一部は、すでに京都造形芸術大学(京都市)にてクリーニングが進められていますが、修覆への対応については関係者の方々と相談しながら進めてゆくことになります。


高妻さんや伊藤さんのお話からは、奈良での被災資料対応の体制作りにも、そこに関わる多くの方々の尽力や善意があったことを知りました。本ネットニュース145号(天野真志さん)、146号(野村育代さん)の報告にもありましたように、被災地で、仙台の事務局で、さらには全国各地で、ボランティアや保存修復の専門家など多くの方々の支援を受け、少しずつではあっても着実に、様々な方法で被災資料の応急処置は進んでいます。(右絵:「古文書」と記された段ボール箱が積み上げられた冷凍倉庫)

一方、大規模災害への対応を組み込んだような平時の文化財保存修復や、宮城資料ネットなど現場で資料保全を行う組織と保存科学・修覆の分野が連携して、モノとしての歴史資料の長期保存を実現するような仕組み作りが必要である、という共通認識も得ることができました。善意頼みではない資料保全の体制を、ということは私もネットニュースなどで触れてきましたが、これからの歴史資料保全における大きな課題として、引き続き考えてゆく必要があるでしょう。