150号 被災資料保全のボランティア作業に参加して

救う―救済活動東日本大震災

佐佐木邦子

 津波で被災した文書を修復するボランティアがあることは新聞などで知っていましたが、どうすれば私も加われるかは知りませんでした。ある会合で平川先生とご一緒し、資料保全ネットワークについて教えていただいて、さっそく参加させていただくことをお願いしました。


 3月11日の震災は私には大変なショックでした。地震で家の中がめちゃめちゃになり、同時にすぐ停電で、他の地域でどんなことが起きているのかわかりません。電気が通じるようになって初めて沿岸部の被災状況を知りました。我が家の被害など被害のうちにも入らないようなもので、その後、日が経つにつれ被害の大きさが明らかになっていきました。私でも出来ることがあればしたいと思いながら、周囲の方を手伝ったりお見舞いしたりしているうち、日が過ぎてしまいました。

 私が参加させていただいたのは水曜日を除く8月24日から9月9日までです。もっと続けるつもりだったのですが、ぎっくり腰になってギブアップしてしました。マスクはかけていましたが、分厚い被災文書を開くと、海の匂いともヘドロの臭いとも違う独特の臭いが立ちのぼります。ボランティアに来ていた陸前高田の学生さんが「津波の臭いだ」と言っておられ、ああそうかと思いました。
 泥まみれのもの、カビのひどいもの、紙が破れてしまっているもの、ページがくっついて剥がれないもの、文字が消えてしまったもの、綴じるために使った金属がかびたり腐蝕したりしているもの、などいろいろありました。こびりついている泥を竹ベラと刷毛で丁寧に落とし、エタノールを吹きかけて殺菌、その後乾燥させて終了です。文書の表紙はたいてい厚紙で出来ていますが、その厚紙が海水でボロボロになったり、表紙そのものがちぎれていたりするものも多数ありました。


カビが糊状になって表紙の裏にべったりくっついた紙は、なかなか剥がれません。エタノールで湿らせながら破れないように1枚1枚竹ベラやピンセットで剥がしていくのは気を遣いました。インクがにじんで次のページに写ってしまい、読めなくなっている文字もありました。泥とカビとエタノールの臭いの中で黙々と手を動かしていると、1枚の紙に籠められた人の思いが想像させられます。学校文書など、欄外に丁寧な文字で「何文字訂正」と書かれ押印されているものも少なくありません。1文字さえ大事に扱われていたのに、肝心の本文が消えて読めなくなっているのが、何とも切なく思われました。
 和紙や墨は濡れても強いものだと改めて感心しました。和紙にインクで書いてあるものもまあまあ。その点洋紙は破れやすく、手書きがガリ版になり、さらにパソコンになって、現代に近づくにつれ修復が難しくなりました。
 くっついているページとページを剥がすときに、かすかな音をたてて粒状の小さな穴があき、素直に剥がれてくれる紙がありました。塩の粒です。紙質のせいか波をかぶった状況のせいかはわかりませんが、意味ありげな小さな穴が点々と開いている紙は、何やら神秘的できれいでした。

 2週間目の終わり頃、廊下に積んであった段ボール箱がだいぶ減りました。みんなでやれば終わるんだ、と、当たり前のことかもしれませんが嬉しかったです。
 それにしても大学のスタッフの方々は大変です。被災資料の管理、人の把握、外部との連絡等、自分の研究はいつするのだろうと心配になるほどでした。エネルギッシュなボランティアの方々とお知り合いになれたのも貴重な体験でした。非力ですが、これからも時間を作ってできるだけかかわっていきたいといます。