154号 12月12日 白石市で歴史シンポジウムを開催

広める―普及活動

宮城資料ネット事務局佐藤大介です。今回は12月10日に宮城県白石市文化体育活動センターホワイトキューブで開催された歴史シンポジウム「南奥羽の戦国世界-新発見!遠藤家文書に見る戦国大名の外交」のレポートです。

■歴史シンポジウム「南奥羽の戦国世界-新発見!遠藤家文書に見る戦国大名の外交」

伊達政宗の父輝宗(1544-85)の重臣であった遠藤基信(1532-85)を祖とする遠藤家は、仙台藩の成立後も代々の当主が奉行(家老)職を勤めるなどした重臣です。また基信は伊達政宗の重臣として名高い片倉小十郎景綱(1557-1615)の仕官のきっかけを作った人物でもあります。

遠藤家の古文書は、白石市に住む同家の末裔の方が保管していました。また縁戚関係にあった、伊達家重臣の中島家文書も合わせて伝えられていました。これまで未発見だった戦国期の古文書が多数残されていました。宮城資料ネットでは両家の古文書資料を保全する活動を、白石市教育委員会と地元の郷土史サークルである白石古文書の会と協同で実施しています。詳細はネットニュース 号および 号を参照ください。2009年に行われた2回の保全活動で、全点の撮影と中性紙封筒への収納を終えています。現在は白石市の行政と古文書の会が主体となって、約6000点におよぶ文書の目録化が続けられています。これらの文書は、2011年3月11日に白石市の文化財に指定されました。

その11日に起こった東日本大震災に際して、白石市教育委員会では被災歴史資料レスキュー活動を実施しています。その中で、以前に遠藤家文書が一時保管されていた市内の土蔵から、新たに遠藤家文書100点ほどが確認されました。ここにも戦国期の古文書などが含まれており、教育委員会により保全されています。

今回のシンポジウムは、一連の活動の最初の成果として、行政と市内の文化財保護に関係団体と宮城資料ネットとの共催で行われました。2回目の保全活動が終わった直後からもち上がっていましたが、今回の震災もあり開催が一時危ぶまれました。しかし、白石市の博物館建設準備室をはじめとする関係者の尽力で、予定通りの開催となりました。

シンポジウムでは気鋭の戦国期研究者4名の報告と、会場からの質疑も交えたパネルディスカッションが行われました。一連の報告を通じて、南奥羽の戦国大名たちがいかにして家を保とうとしていたか、伊達輝宗と政宗の外交戦略の違い、さらには大名間の合従・連衡から生まれる地域としての一体感などが明らかになりました。

当日の来場者はほぼ満席の384名でした。会場には白石市民や市内外の歴史ファンに加え、江戸時代の遠藤家が所領を持っていた栗原市一迫川口地区からも多くの方が来場しました。なお同地区では2010年夏の宮城資料ネットの活動で、家臣の子孫の家に伝えられた多数の古文書が保全されています。

なおシンポジウムの関連企画として、白石城歴史探訪ミュージアムでは今回発見された遠藤家の戦国期文書10点の展示を12月18日まで、仙台市博物館では同館や財団法人斎藤報恩会所蔵の関連文書の展示が1月15日まで行われています。シンポジウム翌日の11日には仙台市博物館で展示解説が行われ、前日の参加者も含む来場者約50人が熱心に聞き入っていました。

■報告書『伊達家重臣 遠藤家文書・中島家文書 戦国編』

遠藤家と中島家文書保全の成果として、白石市教育委員会編による報告書『伊達家重臣 遠藤家文書・中島家文書 戦国編』(白石市歴史文化を活用した地域活性化実行委員会発行)が刊行されました。遠藤家文書と中島家文書の戦国時代の古文書の写真と解読文、文書発見の経緯と内容を分析した論考4編が掲載されています。2000円で一般にも販売されます。詳細については博物館建設準備室(0224-22-1343)までおたずねください。

保全された古文書が、今回の企画で中心となった同市博物館建設準備室など行政の尽力と、地元住民の歴史への愛着により、目に見える形で結実しました。古文書の発見と保全が、地元のあらたなイベントを生みだし、そこに地域内外から集う人々の交流へとつながっていったことは、保全活動や、そこでの専門家の役割について改めて考えるきっかけとなりました。

宮城資料ネットでは今後も白石市での活動を続けていきます。また今回の経験を、たとえば今回の震災で被災した歴史資料の将来的な地元での活用などにおいても生かしていければと考えています。