16号 矢本町で被災状況調査を実施しました 11月1日に23人が参加

2003年宮城県地震救う―救済活動

* 11月1日(土)に矢本町で被災状況の現状調査を実施しました。参加者は21人で、地元の文化財保護委員の先生方お二人にもご協力を頂きました。ありがとうございます。

* 町内調査は地区ごとに6グループに分けて行いました。調査リストでは44件でしたが、ヒアリングのなかで1件の追加があり、全部で45件となりました。お留守のお宅も数軒ありましたが、1軒のお宅で1時間以上ヒアリングというのはザラですので、なかなか大変です。最近は日没時刻も早くなってきましたので、明るいうちに作業をおえることもむずかしくなっています。

* 地震による矢本町の全壊家屋は427軒、半壊1262軒で、これは鳴瀬町の全壊430軒と並ぶ最大級の被害でした。それだけに町内の主要道路の痛みも激しく、いまでもかなり波打った状態のところがありました。道路沿いにも空き地がいたるところにありましたが、家屋を解体して更地になったところだとのことでした。

* 江戸時代に旅籠を営み、明治5年築の母屋が全壊したお宅では、大きな神棚やたくさんの什器、古い家具類を倉庫に保管していましたが、母屋を新築するために11月中に倉庫を解体するとのことでした。そこで倉庫のなかを拝見させて頂いたところ、安政から明治にかけての文書や軸物が数十点出てきました。整理の必要があることをお伝えし、11月中にもう一度お訪ねして保全作業をすることになりました。

* 矢本宿の旅籠屋で、幕末に肝入を勤めたお宅では、浪速講の看板や多くの民具類がありましたが、幸いにもふすまの裏張りを保管しておられました。その一部は額に入れてありましたが、多くは裏張りをはがした状態のままでしたので、ご当主の依頼をうけて裏張り文書をお預かりしてきました。一枚一枚はがしてきれいに整え、目録をとったうえで、保管できる状態にしてお返しすることにしています。

* すでに別宅を建てたため明治初年築の母屋を近く取り壊す予定のお宅のことですが、地震直後に骨董屋がやってきて、かなりのものをもっていったとのことでした。
骨董屋に「奥さん大変でしょう、私たちが片づけますよ」と言われ、お願いしますといったら、めぼしいものを全部運び出し、5万円置いてもっていったとのことでした。家のなかがガタガタになっていたので私も気が動転してウンといったけど、仏像もなくなっていた、いくつかはあとで返してもらったけど、ひどいねえ、と語っておられました。こうした骨董屋の話は、これまでにもあちこちで耳にしています。こうした話のなかで奥様が、そういえば大事そうな書類箱があったと言われるので、閉め切っていた母屋に入れさせて頂き、あちこちをひっくり返してようやく書類箱を探し出しました。仙台藩が各村に書き上げさせた地誌の「安永風土記書上」と系図などを入れている旨の箱書きがありましたが、そっとふたをあけて中を拝見すると、「安永風土記書上」の姿はみえず、系図があるだけでした。愕然としましたが、いつなくなったかはわからないとのことでした。 

* このほかにも数軒、日を改めて所蔵文書の調査が必要なお宅がありました。今後連絡をとって継続調査や整理作業にはいることにしています。

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南郷町ボランティア 募集中
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* 次回は11月8日(土)に、南郷町の現状調査に入る予定です。これについてはすでに別途ご案内済み(宮城資料ネット・ニュース15号)です。この南郷町が被災地調査最後の自治体となりますので、ぜひ多くの方々の参加をお願い致します。
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