168号 ボランティアとして少し働いて

救う―救済活動東日本大震災

東京大学史料編纂所  保立道久


 6月27日から3日間、ボランティアに参加しました。第一日目午前中は、石巻の小学校の校務書類の最終整理の御手伝い。午後は、いたんだS家文書の封筒の交換と現状記録(カメラ、新封筒記入)。二日目と三日目午前は、K家の襖内文書の解体と整理。そして三日目午後は早く失礼して石巻の津波跡を廻りました。その実際の中身は、自分のブログ(「保立道久の研究雑記」http://hotatelog.cocolog-nifty.com/)に書きましたので、それを御参照いただければ幸いですが、なによりも平川新さんと宮城資料ネットの方々は本当にたいへんであることを実感しました。敬意を表したいと思います。またとくに、認識を新たにしたのは、市民ボランティアの方々の実力でした。現在の責任者のOさんは、昨年の秋、平川先生の市民講座での呼びかけをきいて参加されたという紳士。リタイアされた方や主婦の方が、週3・4日あるいは毎日、6・7人のメンバーで支えてくださっている。作業の指導は研究者とともにボランティアの方々からうけた。御話を聞いていると頭が下がる。参加についての御礼をいわれたが、むしろ職能の問題としては、こちらから感謝しなければならないことで恐縮する。 絵:被災した文書の状況を確認する(6月27日)

 家族で行ったので、娘がボランティア活動の中にとけ込み、細かな作業に集中しているのが楽しい経験であった。作業拠点は東北大学災害科学国際研究所のおかれている文科系総合研究棟の11階。その窓からは水平線がみえることがひとしきり話題となる。ボランティアのIさんがおっしゃるには、「仙台に津波ということはまったく考えていなかった。そもそも、仙台が海が近いという意識そのものがなかった」。そして、Oさんは、仙台城と同じ高さから仙台の街区をみながら仕事できるのは楽しみの一つとおっしゃるが、その位はいいことがなければという話になる。


 歴史学の社会的な職能のために動いてくれる市民との関係は、歴史学にとって何よりも大事だと思う。(遺跡保存などもふくめ)史料保存は、歴史学の社会的責務である前に歴史学にとっての職能的な利害そのものである。職能的な利害のために必要な時間をさくことは研究者としての責務である。すべての研究者は少なくとも給料を保証されている場合は、おのおのの条件の中で資料をレスキューするという職能的な義務の一端を担うべきである(若干でも金も時間も)。これを曖昧にするのは研究者としての地位を既得権化するものではないか。私は、本質論としては「原子力ムラ」なるものの問題はアカデミー全体に無縁ではないように思う。そういうことではアカデミーにおける歴史学の陣地をまもることもできないだろう。 絵:作業手順の説明を受ける(6月27日)
 そして日本の歴史文化の中では、歴史学の職能的な利害の擁護は、研究者としての給料分の義務的な仕事であり、社会的な責務であるとともに、つねに歴史学の学問的課題に直結してくる。歴史学研究の課題意識の設定においては、史料保存を中心とする歴史学の職能的役割を中軸にすえることが正統的なあり方として維持されねばならないことは明らかである。

 この点で、たいへんに気になるのが、江戸時代研究者の大多数が、阪神大震災後に組織され、現在にいたっている資料レスキューの動きを全体としてどう考え、どう位置づけているかが部外者にはみえてこないことである。

 歴史学と被災史料という問題を考える場合に、第一に必要なのは、災害、地震、津波などそれ自体についての研究の開拓であろう。これは歴史学の側では、長く、ほぼ北原糸子氏の一人の肩にかかっていたというのが実際である。私も三・一一を経て、八・九世紀研究には地震・噴火についての本格的な研究は今津勝紀・宮瀧交二氏などの二・三の論文を除けば、まったく存在しないことを知って、急いで研究にとり組んだという経過であって、大きなことはいえないが、それほどひどくはないとはいえ、江戸時代の災害史研究も遅れていることは否定できないだろう。何よりも、この研究課題の設定と議論が急がれなければならないと思う。


 第二には、被災史料の史料論であろう。今回の経験でも襖内文書は通常では保存されないような珍しい文書や書状をふくんでいるように感じた。襖内文書は、史料の悉皆調査によっても光が当てられることがなかったはずである。各地での経験を交流し、記録方式などを確定していくべき必要は高いように思う。とくに襖内文書は断片化している場合が多く、保存のためにも編纂が必要になる場合が多いことに注意しておきたい。大量・多様な被災史料の調査・記録・研究において、史料論の発展が図られるべきことは、それ以外にも多いのではないだろうか。被災史料の保存にかかわる文化財科学の方法論議や実践が必要となっていることもいうまでもないだろう。 絵:ふすま下張り文書の解体(6月28日)

 そして第三に強調しておきたいことは、大量の史料の被災が、歴史史料のデジタル化の必要を白日の下にさらしてしまったことである。江戸期史料はなにしろ大量であって、そのデジタル撮影、デジタル編纂ということになれば、大問題である。これまで歴史学における情報化、知識化が「古代・中世」を中心に進展してきたのは十分な理由があったと思う。しかし、デジタル化をどう考えるか、それを歴史学の方法論の問題としてどう受けとめるかは、それが史料保存という歴史学研究にとって本質的な問題から発している以上、回避することはできないものと思う。もちろん、これは江戸期の歴史研究者自身によって検討すべき事柄であることはいうまでもないが、しかし、『新修日本地震史料』に結実している地震学が主導した江戸期の地震史料の悉皆調査・翻刻のプロジェクトが、歴史学の側からの全面的な協力を必要としていることは明らかで、これは列島社会の安全に直結している。