169号 被災史料への対応続く-6月から8月の活動

守る―保全活動救う―救済活動東日本大震災

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。あの日から1年半が過ぎました。

事務局執筆のネットニュースは3か月ぶりです。保全活動や、事務局員それぞれの公務もあり、なかなかニュースをお届けすることが出来ませんでした。しかし、私たち自身の活動記録を作ることは重要な仕事です。さらに、活動の様子を広くお知らせすることは、多くの方のご支援に対する社会的な責務です。ニュース168号に続き、2012年6月から8月までの活動についてご報告いたします。


1 被災資料レスキュー

◇現地での活動
○6月1日・仙台市S家文書

仙台市史編さん室と合同で、市内にあるS家のレスキューを実施しました。事務局から平川と天野が参加し、文書やふすま下張り文書などをレスキューしました。


○6月8日・仙台市Y家文書

仙台市の沿岸部に位置するY家は、昨年5月に所蔵者自ら津波で被災した古文書資料を持参し、レスキュー対応をおこないました。それらは応急処置と全点撮影を終えております。今後の対応について相談するため連絡したところ、あらたに古文書が見つかったとの連絡があり、理事長の平川と佐藤で現場に急行しました。
木箱に収められた古文書は、津波被災から1年3か月が経過して劣化が進んでいました。実は佐藤は、文書が最初に持ち込まれた直後に現地を訪問していたのですが、その際に見落としてしまっていたのです。あのとき保全していればと考えると、悔やんでも悔やみきれません。文書はお引き取りし、現在は事務局の冷凍庫で保管しています。

(絵:発見されたY家文書(6月8日)


○6月12日・南三陸町E家文書

E家文書は、昨年7月にレスキューした津波被災文書です。応急処置と全点撮影を終えた史料を、写真帳とともに6月12日に事務局の蝦名が現地を訪れ返却しました。その際、所蔵者から新たに見つかった文書類があるとのことで、引き取ってきました。
段ボール1箱分の文書は自然に乾燥しており、状態もさほど悪くありません。今後、順次クリーニングを行っていく予定です。
発見されたY家文書(6月8日)



○7月10日・気仙沼市A家文書

A家文書については、2011年4月30日に実施した気仙沼市域での被災状況調査で、自宅は津波で被災したが、所蔵者はご無事であったとの情報を得ていました。
古文書については情報をつかみかねていましたが、被災した学校文書の保全を続けている本会理事の大平聡さん(宮城学院女子大学)から、7月9日に学区の校長先生を通じて、古文書の救援要請を受けたとの連絡がありました。翌10日、大平さんと事務局の天野が気仙沼市に向かい、文書をお引き取りしました。
クリアーファイル数冊に整理されていた古文書には、カビの発生も見られました。すぐに応急処置と冷凍庫での保管を始めました。
(絵:A家文書への応急処置(7月11日)


○学校文書レスキュー
6月1日に石巻市内の小学校、7月28日には南三陸町内の中学校から新たな津波被災文書が持ち込まれました。合計で段ボール20箱ほどです。現在、応急処置を続けています。



○7月27日・8月28日・大和町T寺家史料

今回の震災で被災した大和町T寺において、7月27日の檀家惣代集会において、史料保全活動の状況報告を行いました。建築は山形大学の永井康雄教授(建築史)が担当し、古文書や絵画を佐藤が担当しました。庫裏は江戸時代前期の建築である可能性が高いこと、そのふすまの下張りに江戸時代の古文書が使われていることを報告しました。
8月29日には、本会理事の井上研一郎さん(宮城学院女子大学)とゼミ生の協力を得て、5月2日の被災状況調査で確認され、事務局に借用していた20点程の絵画史料の返却も兼ねた概要調査を現地で実施しました。

(絵:T寺絵画史料の調査(8月28日)



○7月28日・登米市米山町での被災土蔵調査

7月28日には登米市米山町の被災した土蔵の簡易実測調査を行いました。土蔵は「水山」と呼ばれる、北上川の氾濫を避けるために設けられた土盛りの上に立てられていました。水害をしのぐ先人の知恵を実地で知る事が出来ました。

○8月27日・村田町Y家史料保全活動(3次)

東日本大震災で被災したY家の史料について、5月に借用して応急処置と撮影を終えた分を返却しました。この際、新たに未整理の古文書が確認されました。木箱や段ボールなど12箱を搬出し、保全を行うことにしまし
A家文書への応急処置(7月11日)
T寺絵画史料の調査(8月28日)
Y家史料の搬出(8月27日)
た。
(絵:Y家史料の搬出(8月27日)



◇事務局での活動

○被災歴史資料の応急処置・クリーニング

作業は平日に実施しています。被災歴史資料への応急処置と、ふすま下張り文書の解体が中心です。6月から8月までの3か月間で段ボール70箱ほどの応急処置を行いました。
作業はスタッフとして雇用している地元市民ボランティアの他、東北芸術工科大学竹原万雄ゼミ、東北大学中川学ゼミ、および個別に参加申込のあった全国の研究者やボランティアの皆様の協力をいただきました。記して御礼申し上げます。

(絵:被災資料のクリーニング(7月17日)


○デジタルカメラでの撮影

応急処置が終わり状態が安定した史料は、今後の災害に備えた全点撮影を週3回行っています。6月から8月までの3か月間に、約3万カットの画像データを収集しました。
震災から一年半が過ぎようとしていますが、状況が落ち着くにつれ、新たな被災資料が確認されています。着実に対応を進めていますが、終わりの見通せる状況には全くありません。
なお、これまでの現地からの被災資料搬出には、文化財レスキュー事業において奈良文化財研究所から借用していた公用車が大活躍しました。このほど福島県での被災歴史資料レスキューで使用するため、7月25日に返却しました。

(絵:被災歴史資料の撮影(7月6日)


2 通常の事業・その他の活動

○川崎町S家文書の保全活動(2次・3次)

6月12日・13日と、8月8日・9日に、川崎町S家での保全活動を実施しました。8月の活動でわずかに残った分については所蔵者の許可を得て借用し、現時点で確認されている分の古文書については撮影を完了しました。撮影コマ数は重複分など整理前の速報値で6304コマとなりました。

○白石市での古文書史料整理支援

白石市教育委員会博物館建設準備室と白石古文書の会が進める、仙台藩重臣遠藤家文書の整理支援に、事務局佐藤が引き続き参加しています。7月6日と8月3日の両日に白石市中央公民館での作業に参加しました。古文書の会メンバーによる、整理の域を超えた精力的な作業で、新たな情報が次々と引き出されています。

○古文書返却事業

かつての大学研究者(故人)が各地の旧家から借用したままの古文書について、7月30日に石巻市H家、8
被災資料のクリーニング(7月17日)
被災歴史資料の撮影(7月6日) 
月22日に同市O家への返却を行いました。
H家については、すでに家が絶えていたため、石巻市教育委員会に公的な対応を依頼しました。ただし、ご承知のような被災状況のため、当面は宮城資料ネット事務局で保管を続けます。
O家については、宮城資料ネット最初の活動となった2003年の被災資料レスキューで訪問先となったお宅でした。返却時のご当主からの聞き取りで、50年ほど前に史料を貸したときの状況について知る事が出来ました。自分たちには分からないが研究のお役にたつなら、ということで貸した、今回返却してもらいありがたいということでした。母屋は築200年ほどの建物でしたが、大きな被災はなかったとのことでした。
これで、58件中10件の返却を完了しました。今回の返却は、図らずも以前の災害時に訪問したお宅の被災状況調査も兼ねることになりました。
震災対応の活動が知られるにつれ、問い合わせや保全の依頼も増えています。無理のない範囲で、今後も対応していくことにしています。