17号 南郷町で被災状況調査を実施しました 11月8日に19人が参加 地元からは8人が協力

2003年宮城県地震救う―救済活動

* 11月8日(土)に南郷町で被災状況調査を実施しました。参加者は仙台から19人で、地元からは教育委員会の生涯学習課長をはじめとする職員の方々、文化財保護指導地区委員、前教育長、元公民館長、地区長など、多彩な8人の方々が参加してくださりました。

* 町内調査は地区ごとに5グループに分けて行いました。全部で32軒の調査となりました。

* 地震による矢本町の全壊家屋は145軒、半壊448軒でした。美しい田園風景の広がる地域ですが、震源地である旭山も間近に見えて、痛々しさも募る思いでした。生涯学習課長さんは、地震後は旭山の形が少し変わった、と言っておられました。山の形が変わるほどの地震というのも想像を絶するほどです。

* 残念としかいいようがないのですが、河南町の斎藤善右衛門家に次ぐ県内第二位の大地主のお宅の膨大な史料が、つい1か月前に焼却されていたことが判明しました。1か月前といえば、私たち別な町で活動をしているときです。あとさきのことをいまさら悔やんでも仕方ありませんんが、最大の教訓は複数の町で同時並行して調査やレスキューを進めることができていればということでしょう。なんとも痛い教訓となりました。

* 古文書ではありませんが、大正時代の養蚕小屋が全壊し、そのなかにはいっていたさまざまな農具類をすべて処分したお宅もありました。これも1ヶ月前のことだそうです。あそこだよと指をさされた場所には、ブルトーザーがあり、整地をしている状況でした。ご当主が言われるには、養蚕小屋とその中の民具類それ自体が資料館のようだったとのことでした。

* こうした話しをお聞きすると、なんとも愕然たる思いになりますが、いっぽうでは、これからちゃんと管理できるかどうか配だ、お役にたつのなら史料を博物館に寄付したいと申し出られたお宅もありました。東北歴史博物館にそのご意向をお伝えし、対応して頂いているところです。

* すでに建て増しなどをして表からの外観は現代風になっていますが、奥のほうの建物は江戸時代のものという旧家がありました。ご当主によるとその家は飢饉のときに建てたとのことでした。それがいつの飢饉のことかまでは分からないとのことでしたが、あるいは窮民対策のひとつだったのかもしれません。別なお宅で明治初期の耕地地図を拝見したとき、あまりにも整然と区画されているので、区画整理でもやったかのようですねと申し上げたら、付き添って下さった前教育長さんが、この村では窮民対策として江戸時代から耕地整理をやっていたのですよ、慈恵地主が多かったと言われています、とのことでした。家を建てるということだけに目を奪われると、なぜ飢饉のときに建てたのか、その歴史的な意味を見失うのかもしれません。

* 今回の南郷町をもって激甚被害をうけた5町の被災調査をひととおり終えることができました。とはいえ被災地全体でいえば二次調査や史料整理などが必要なお宅も少なくありません。お預かりしたフスマの裏張りの解体・整理作業も始まりました。集積した大量の現状確認データも、これからデータベース化に取りかからなければなりません。まだまだ仕事は山積しています。多くの方々のサポートをお願いする次第です。

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