173号 被災資料レスキューの現場に少しだけ触れての雑感

救う―救済活動東日本大震災

廣川和花(大阪大学適塾記念センター)


2012年8月27日(月)と28日(火)の両日、東北大学川内キャンパスにて行われた被災資料保全活動に参加させていただきました。2012年1月に宮城資料ネットでレスキューされた資料の中に、近世・近代の医学・医療に関するものがあり、この資料群について、宮城資料ネット事務局の蝦名裕一さんが医療史の専門家によるチームを組んで整理作業をしたいと考えておられるとの由、史料ネット(神戸)事務局長の川内淳史さん(近代日本医療史・社会福祉史)を通じて伺ったのがきっかけです。今回は、川内さんと高岡裕之さん(日本近代医療史)、佐藤賢一さん(近世科学史)その他の方々にお声掛けし、上記日程での訪問が実現しました。

(絵:1月29日に実施したレスキュー活動)


今回わたしたちが整理作業をしたのは現石巻市住吉地区で代々医業を営んでいたK家の資料群でした。地震・津波被害を受け、宮城資料ネットにより救出された多数の襖や古文書群は、ボランティアの方々の手で解体やクリーニングが施された状態にあり、われわれが着手するまでの段階で、すでに多くの方のご尽力があったことが伝わってきました。処置を施され段ボールに納められた史料の多くは襖の下張り文書で、書簡や医学書などの典籍、処方録などがバラバラの状態で複数の襖にまたがって張り込まれていたものです。よって、史料の原秩序を重視するというよりも、解体された元の史料の秩序をある程度取り戻すことを目指した整理をすることになりました。つまり「神経衰弱」のような作業といえばわかりやすいかと思います。

(絵:剥がし作業直後の下張り文書)

1月29日に実施したレスキュー活動 剥がし作業直後の下張り文書

専門的な見地からどの程度お役に立てたかどうかは心許ないですが、近世・近代を通じて地域医療にかかわった家の資料群に触れ、しかもバラバラになった史料の整理を通じてその営みをどうにかして文字通り復元しようとする作業は、すでに整理された史料を利用して研究対象にアプローチするのとはかなり異なる、しかし新鮮な体験でした。もちろんてんでバラバラになったひとつの史料の断片が別々の箱から次々に出てくるのは大変でしたが…。

(絵:下張り文書の復元作業)


 今回実際の作業に少しだけ関わらせていただいたことで、他にもいろいろなことに気づかされました。そのひとつに、資料レスキューという作業が歴史学の中でおかれている位置に関することがあります。資料レスキューが報道される際には、しばしば「レスキューされたものの中にこのような珍しい、貴重な資料があった!」ということが強調される場合が多いように思います。それについてこれまでわたしは資料群の中に資料的価値が高い(「使える」史料)ものがあるかどうかでレスキューの重要性が決定されるかのようなアピールはおかしいのではないかという疑問を持っていました。資料は等しく貴重なものであり、保全された資料群そのものが貴重なのであるというべきだろうと。
 しかし、歴史学関係者にすら、あんな「使えない」史料を救って何になるのかという態度をとる人が少なからずいるという現実の前には、現場から「いやいや、こんな『使える』史料もあるんですよ」という発信の仕方をせざるを得ないのだと思い知らされました。実際には、レスキューの現場にいる人の方がよほどどうしようもなく「使えない」史料の断片の山と向き合っていて、その中から辛うじて再構成された史料の中から、どのような歴史像を立ち上げることができるかを必死で考えている。その場合の「使える史料」は、誰かの手によって整理された史料を当然のものとして研究に利用する場合のそれとは、本質的かつ必然的に異なる意味をもっています。保全された「使える」史料のアピールにはそんなやむにやまれぬ背景もあるのだということに、これまでは思い至っていませんでした。

 それから、これまでわたしは、資料レスキューのために遠方から出かけていくことについても積極的な意味を見いだせていませんでした。西日本から東北へと出かけるのにかかる交通費をカンパするほうがレスキューに役立ててもらえるのではないかと考えていたのです。しかし、膨大な被災資料の前に圧倒的に人手が足りない現実をみると、そうもいっていられないように思いました。今回のように資料の性質に特化したチームを組んで作業をする場合には特にそうで、いろいろな地域から参加してみてそれぞれに感じ考えることがあったのは、参加させていただいたわれわれの側にとって大きな収穫であったと思います。今後もこのチームに新しいメンバーを加えて作業を継続していければと思っています。とはいえ、関西からではやはり距離の遠さは否めません。ぜひ関東など地理的に比較的近い地域の方々の関心が高まり、支援の手が増えることを願ってやみません。

 ちなみにこの2日間の作業の翌日、ふくしま歴史資料保存ネットワークの本間宏さんを訪ねて、復旧作業のため休館中の福島県立歴史資料館に伺いました。そこでもこれまでにレスキューされた数多くの資料を見せていただき、ふくしまネットが避難させた飯舘村の資料展示をもって始まる資料館再開館への取り組みについてのお話をお聞きしました。被災地域で歴史史料に関わって生きていく人たちから、歴史研究者が学ぶことは本当に大きく、いうべき言葉もみつかりません。何か少しでもお返しできることがあれば良いのですが。

 地震と津波、原子力災害による被害を前にして、歴史学に何ができるかについて、今あちこちで議論されています。中には、大上段に構えた(とわたしには思える)議論もままみられます。これまでの歴史学(…が、果たして適切な主語なのかわかりません)が「見落としてきた」諸問題に取り組まなければならないという主張もあります。それぞれの向き合い方があって良いと思いますが、まずは歴史を論じる際によってたつべき資料を保全することなしには、どのような歴史学もそもそも成り立たないのではなかろうかと思います。ほんの少し垣間見ただけの経験から、わかったようなことを言うべきでないことも重々承知していますが、その少しのことからすら実に多くのことを学んだのも、事実です。今回受け入れていただいた宮城資料ネットと事務局の蝦名裕一さんに、心からの感謝を申し上げます。

(追記)今回の下張り文書の復元作業では、皆様遠方にも関わらず、この作業のために駆けつけていただきました。参加者の皆様に心より御礼申し上げます。今後も、こうした下張り文書の復元作業を随時実施する予定です。(事務局・蝦名)