191号 白石市の文化財レスキュー

救う―救済活動東日本大震災

白石市教育委員会生涯学習課 櫻井和人

1 震災前後の活動と白石市の被害

 白石市では、平成22年度から文化庁の地域伝統文化総合活性化事業により「記録と記憶のレスキュー事業」と称し、歴史資料の所在調査、古老の記憶を記録するという聞き取り調査を開始していた。22年度には計30回にわたり、調査等で市内各所を訪問している。これは、宮城歴史資料保全ネットワーク(以下「宮城資料ネット」という)と地元の郷土史研究団体である白石古文書の会の協力を得て行った。予定では、平成23年3月27日に市内中心部及び南部の越河地区における一斉調査を行うはずで、その決裁が3月11日午前に課内で下りたところだったが、その日の午後2時46分に地震が発生した。この活動は、こうした災害に備えてのものだったのだが、もう少しのところで間に合わなかったことが今でも悔やまれる。

2 地震直後

 地震直後より、文化財担当2名のうち1名は事務所がある中央公民館が避難所となったことからその対応に、また筆者は給水業務に従事し、直ちに文化財業務に入ることができなかった。
しかしながら、それでも主に避難所対応となっていた職員が、その合間を縫って車を走らせ、少しずつ市内の文化財被害を確認して廻った。

 一方で、この地震によって、市民がそれまで自宅の蔵などで保管していた〔古いもの〕を処分してしまうのではないかとの心配があり、まず『広報しろいし』(災害特別版3月30日発行)で【歴史を語り継ぐためにご協力下さい】として〔古いもの〕が見つかった場合の連絡を呼びかけた。その後、広報5 月号に合わせ【歴史資料を捨てないで下さい!!】というチラシを市内全戸に配布、次いで【歴史資料の保全にご協力下さい】というチラシを全戸に回覧(5月18日)するなど繰り返し市民に呼びかけた。あわせて、3月15日には宮城資料ネットと電話が通じ今後の協力を確認、23日には白石市文化財愛護友の会の協力を得て、すべての会員に上記のチラシを郵送し、情報提供も依頼した。

3 文化財レスキューの動き

 4月に入ると、資料所有者や情報提供者から連絡や問い合わせが多く入るようになった。その多くは、「地震後に片付けをしていたら古そうなものが出てきた」というものだった。なかには、「今、蔵を壊しているのだが、そうしたら中から古いものが出てきた」ということで、重機で取り壊し中の蔵に、取り壊しを一時中断してもらい入ったこともあった。また、解体直前の家の襖から下ばり文書が発見されたことや、「あまり無いんだけど」と言われていたところに伺ってみると、1万点にも及ぶ大量の古文書が出てきたこと、解体前の古民家に建物調査に伺ったらその屋根裏から近世文書が大量に出てきたことなど、様々なケースに遭遇した。

ヘルメットをかぶり蔵の中で作業する職員

こうしたことから、やはり電話で安易に判断して訪問を断ることをせず、実際に伺って調査をする必要性を強く感じた。混乱の中とはいえ、せっかくの問い合わせに一度断ってしまうと、もう次がない。市民は「どうせ電話しても」と考え、もし次何か出てきても連絡をくれることはないだろう。限られた時間と人の中ではあるが、適切な対応が求められるところである。 連絡を頂いた案件に加え、別途当方で情報を持っていたお宅に連絡を入れ調査に伺うなどした結果、平成23年度は48件、24年度は35件の訪問調査となった。

 発見された資料についてはその場で現状を撮影するとともに、所有者に対して分かる範囲で説明をし、その価値を理解してもらえるよう努めた。その後、引き続き所有者自身で管理されるものについては、中性紙封筒などの資材を提供し、その保管場所等を所有者と一緒に考え、大切に保管頂くよう依頼した。

 一方で、今後自身での管理が難しいとされたものは、直ちに寄贈や寄託を受けた。

蔵から搬出した資料の状態を確認する職員

4 その後の対応
 
 寄贈や寄託を受けた資料は、当市の文化財収蔵室に搬入した。これは、白石高等学校の移転に伴い使用しなくなった施設の一部を市教委で借り入れて転用したもので、当時はまだ改修工事の前だったが、ほかにまとまった保管場所もないため、取り急ぎ搬入したものである。収蔵室の工事が一部完了した平成24 年3 月には、新潟大学橋本博文教授はじめ考古学を専攻する院生、学生の皆さんにご協力を頂いて資料の運搬を行った。あわせて、8月4日に市中央公民館で復興支援講座も同大とともに開催している。 なお、ここには市教委でレスキューした資料以外にも、宮城資料ネットによってレスキューされた資料も保管している。

 さて、当方に寄贈・寄託された資料は、順次デジタルカメラによる撮影、中性紙封筒への封詰めを行っている。しかし、ほとんどが以上をもって作業が止まり、目録作成など次のステップに進めていないのが現状である。

5 課題と反省

 これまでのことから、課題と反省点を提示する。まず、地震直後から担当者が文化財業務に当たれなかった点だが、これはその状況を前提にして、事前に対策をとっておく必要があるだろう。当市のような小都市では、教育委員会の職員は、災害対応の際、自分の所属に関わる業務のみならず、むしろそれはさておき、避難所やその他のライフライン関係業務に従事することになり、本来の業務の初動が遅れるのは予め想定しておかなければならない。そこで、例えば市民自身による保全や情報収集がなされるよう、日頃から資料の所在情報を把握し、所有者や地元の関係者との意ヘルメットをかぶり蔵の中で作業する職員蔵から搬出した資料の状態を確認する職員思疎通を密にしておかなければならないと思う。さらに市内部の組織と意識作りの必要性がある。今回、財源としては文化遺産を活用した観光振興・地域活性化事業、及び被災ミュージアム再興事業という文化庁の補助を得て、マンパワーとしては白石古文書の会をはじめとする地元の市民団体の協力を得て活動してきた。

 当市は、片倉小十郎の城下町として歴史を資源にまちづくりを進めている。歴史資料の保全はまさにその土台、基礎をなすものであり、今後これを継続していくことがいかに当市にとって必要なことであるかを、担当者としてもっとアピールしていかなければならないと考える。

 最後に、レスキューした資料の今後の活用について。現在、既述のように、デジタルカメラによる撮影と中性紙封筒への封詰めまでは行ったものの、目録の作成などその先に進めていない。今後、現状のまま仮に将来的に担当が変わるなどした場合、そのまま死蔵につながりかねないという懸念がある。そこで昨今、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門の協力を得て、目録作成の外部委託を始めることができた。現在2 名の方に委託をしている。これから、レスキューしたすべての資料を、当市の貴重な財産として活用できる状態で残していきたいと考えている。

 末筆になりましたが、宮城資料ネットの関係者の皆様はじめ、これまで当市のレスキュー活動にご協力を頂いたすべての方に心より御礼申し上げます。

※本稿は、「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会平成24年度活動報告書」に掲載予定の原稿を一部修正したものです。


 今回は白石市教育委員会生涯学習課の櫻井和人さんに、宮城県白石市での被災歴史民俗資料のレスキュー活動について、ご寄稿いただきました。なお櫻井さんの関連原稿として、仙台藩重臣遠藤家文書の発見を契機とする白石市での歴史資料保全活動について述べた「古文書の大発見が生んだ力」が、『日本歴史』779号(2013年4月号)に掲載されています。合わせてご一読いただければ幸いです。 (佐藤大介:記)