197号 一関市O家の歴史資料レスキューに参加して
2013.06.03
君津市立久留里城址資料館 布施慶子
5月20日、一関市O家の歴史資料レスキューに参加しました。参加記を書く機会をいただきましたので、乱文ですが寄稿させていただきます。
概要はすでにネットニュース196号でご報告があった通りですが、今回、レスキューの対象となったのは一関市O家の土蔵一棟分です。一関市芦東山記念館から宮城資料ネットへの要請があり、実施に至ったとのこと。状況確認調査を経て、5月20日が本格レスキューの日でした。参加者は一関市の方々、宮城資料ネット事務局とボランティアのみなさん、そこに千葉から4名が参加させていただき、総勢19名で、10時半ころから作業を開始しました。
梁の折れた状態の土蔵(平屋)は全壊レベルということです。内部には大量の文書史料や家具・調度品・什器・民具などがありました。内部の物をすべて庭に搬出し、文書史料などの紙類と民具などの物類に分けて大まかな清掃を行いました。
文書史料は39箱にのぼり、内容は養蚕や他産業の教本や記録・日誌・和本・教科書・写真などでした。O家や地域の産業の歴史がこの中にあるのでしょう。これらは事務局に搬送され、さらに丁寧な清掃や整理が行われるとのことでした。
民具などは庭に避難させた形で、後日、所有者が判断をされるそうです。小さくまとめてブルーシートで養生し、現場での作業は、3時頃に終了しました。
以下に雑感などを徒然に書いてみます。まず今回、千葉から4名が参加した経緯です。千葉県の旧君津郡4市では、社会教育関係職員の交流が盛んで、様々なユニットで研修などを行っています。これらに関わった学芸員などが、3.11以降、情報を共有して各地のレスキューや研修に参加するようになりました。今回は当初、宮城資料ネットの室内作業・写真撮影の技術・ボランティアの方々の活動などに関心を持つ者が集まり、参加を申し込みました。当日の作業内容は現場でのレスキューとなり、むしろ貴重な機会をいただいたことを感謝しています。また、日頃研修等でお世話になっていた千葉資料救済ネットの後藤恵菜さんがご一緒くださり、大変心強く、作業に臨むことができました。
事前連絡では、事務局から保険加入の強い要請がありました。建物が危険な状態とのこと。当日、内部で作業した皆さんの服装も、ヘルメットに安全靴でした。O家の土蔵は、徐々に劣化が進んでいたところに地土蔵から長持を搬出震で打撃を受けた例でしたが、地震から2年を経てもなお、危険な建物からのレスキューがあるという状況は、千葉にあっては想像しにくいことです。
ほんの1日の作業でしたが、重要と感じたことは、やはり限られた時間内での状況判断です。もう一つ、「流れ」が大切であるように思いました。
宮城資料ネットのみなさんの差配や動きは言わずもがなですが、自分は迷うことばかりでした。例えばカビ被害への対処です。文書史料は、土蔵から搬出された後、大まかな清掃後にスライドチャック式のガスバリア袋に入れ、段ボールに入れる手順で整理していました。搬出されてくる史料にカビ(綿状の白カビと硫黄状のカビ)が見つかると、佐藤さんが簡易マスクの方々にSD2規格のマスクを勧めました。その後、現場がカビの処置を迷っていると、他の参加者から現状に合った方法が示されました。この指示が出る前には、自分も処置を迷いました。すなわち、カビの払拭は胞子の拡散でもありますし、菌害を受けた史料は脆弱です。触らずに二次作業場に処置を送る選択肢もあるでしょうが、作業場の状況や設備も判りません。袋の脱酸素剤の期限も心配です。こうした様々な条件が思い浮かび、各課題ごとの対処は判るものの、一つの座標だけでは決められないために、方法がまとまりません。複合的なバランスで素早く判断する難しさを痛感しました。
今回、各参加者の価値観や作業のリズムは、時間とともに共有され、自然に形成されていったように感じました。しかし後から思うとこの流れも、参加者の提案を取り入れながら、現場に掉さしておられた佐藤さんの手腕によるものだったと気付かされます。
所有者との信頼関係も垣間見たように思います。当日は作業の始まる前にご主人のご挨拶がありましたが、作業中のことは全て任されており、信用いただいている様子が判りました。
ところで、作業の中で変わった生物被害を見ました。アリによる古文書の被害です。後で参加者の一人が調べると、ムネアカオオアリと判りました。古文書内部に迷路のような穴を開けて営巣しており、周囲におがくず様のフラスがありました。ムネアカオオアリによる古文書の被害例を探してみましたが、見つけられませんでした。しかし、文虫研の『文化財の虫菌害防除概説』によると、アリ科全体を記した項に、「一部に朽木に営巣するものがあり…付近の紙製品まで加害することがある。」とあります。初めて見る被害でした。
それにしても、持ち出した文書史料の量に驚きます。この後の応急処置にも大勢の方々のご協力が必要なことでしょう。また、庭に運びだした民具類も小山になるほどの量でした。今回に限った事ではありませんが、同様の民具たちが歴史を伝える資料として存在していくために、何か現場で出来ることがあるのではないか。自身の課題に思っています。
最後になりましたが、慣れない参加者を受け入れてくださった平川先生はじめ宮城資料ネットの皆様と、ご指導いただいた当日の参加者の皆様に心から御礼申し上げます。
また、ご一緒に参加した後藤さんの参加記がこちらのブログに掲載されています。千葉資料救済ネットの活動と合わせて、ご覧いただければ幸いです。