200号 支えてくださったみなさまに、心から感謝します。

救う―救済活動東日本大震災

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク 理事長 平 川 新


 宮城資料ネットが活動を始めてから、間もなく10年になります。きっかけは2003年7月26日に発生した宮城県北部地震(震度7強)でした。この地震のあと、8月5日に最初の震災情報を発信しています。内容は、現在、被災地の状況を調べており、レスキューが必要となれば参加を呼びかけるので次の連絡を待ってほしい、というものでした。まだ宮城資料ネットは発足しておらず、メールニュースという位置づけでもない緊急連絡でした。のちに情報の発信履歴を整理するなかで、これをメールニュース第1号と位置づけることになったのです。そのメールから、今号で200号になります。

 ふりかえってみると、2010年末までの8年間で93号を発信しています。年平均12回弱、月1回程度の発信でした。しかし、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の発生以降は、2011年末までの10ヶ月で63回発信しました。毎週1回以上の頻度です。2012年は25回、2013年に入ってからは、前号までで17回となっています。少しずつ緩やかなペースになってきていますが、それでも大震災前の2倍のペースです。惨状を呈した東日本大震災をうけて、宮城資料ネットがいかに激しい活動を展開してきたのかを、この数字からも知ることができると思います。

 この10年間で宮城資料ネットが訪問した旧家は、500軒を越えました。年平均50軒です。従来の史料調査の常識をはるかにこえた軒数だといえます。また地震が来るかもしれないという危機感が、効率的な調査方法を開発させたのです。調査すべき旧家は無数にあります。所在を確認しデジタル撮影でデータベース化をはかるには、1軒当たりの調査時間を短縮化する以外にありませんでした。しかし、雑にならずに丁寧に、という写真資料の高品質化も同時に追い求めました。調査のたびごとにノウハウのブラッシュアップをはかり、ついには宮城資料ネット方式という調査スタイルを確立するにいたりました。とくにデジタルカメラによる撮影には、簡単ですが目からウロコのノウハウがたくさん詰め込まれています。

 地域の悉皆調査と1軒型調査を組み合わせたこの調査方法は、非常時だけではなく平常時の調査にも活用できます。宮城資料ネットのホームページにそのエッセンスを紹介していますので、ぜひ御覧ください(*注)。またデジタルカメラ撮影のノウハウをはじめ、宮城資料ネット方式については日本全国どこへでも出前講座をいたします。ご遠慮なくご依頼ください。
 

古文書のデジタル撮影(2012年11月・岩手県一関市)

2011年3月11日、筆舌に尽くしがたい犠牲と被害を生み、世界を震撼させた東日本大震災が発生しました。被災情報の収集、被災地での活動などに、それまでの活動で培ってきた地元の方々との人間関係がみごとなほど活きました。それまでの宮城資料ネットの活動は、たんに資料の保全をはかってきただけではなく、人と人との関係を築いていたのだということを実感することになりました。

 また多くの方々が支援に駆けつけてくださり、多くのカンパも寄せていただきました。これもまた、事務局の私たちにとって大きな励ましとなりました。震災後にも人のネットワークが新しく築き出され、人間関係がさらに大きな広がりをみせたのです。いまもそれは続いています。

 なぜ宮城資料ネットは、この10年間、走り続けることができたのでしょうか。それは宮城資料ネットに結集してくれた人たちが、平常時と非常時の活動を支え続けてくれたからにほかなりません。震災後には地元だけではなく、遠方の多くの方々も会員になってくださいました。めったに行けないので会員となってサポートしたい、と。ここでも宮城資料ネットは、人と人をつなぐ熱いネットワークを大きく広げたのです。だから宮城資料ネットは、いまも活動を続けていられます。支えてくださった方々に心からの御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 次の300号は、いつになるでしょうか。それまでのあいだ、平安であることを祈りたいと思います。
 

津波で被災した文書史料の応急処置はなお続く(2013年5月14日)

 (これまでに発信したメールニュースは宮城資料ネットのホームページに掲載しています)。
(*注)
・歴史資料保全活動におけるデジタルカメラによる文書資料撮影の手引き(4版2011/11/20)
 
・歴史資料保全活動におけるデジタルカメラによる文書資料撮影の手引き 画像データの集約・管理編