204号 石巻本間家土蔵修繕工事の監理の現状
2013.08.06
宮城資料ネット建築班の佐藤敏宏です。委任を受け歴史的・伝統的建築の被災調査や応急処置の監修と提案を行っています。その一つ「石巻市本間家土蔵の修繕工事」の監理をも行っています。3・11大津波に遭い奇跡的に残った本間家土蔵の修繕工事の現在について下記の5項目に沿い中間報告をいたします
1)宮城歴史資料保全ネットワークに「建築班」ができた経緯
2)石巻本間家土蔵修繕工事に監理における各段階での問題
3)修繕工事の現在
4)本間家土蔵と2年3ヶ月関わり学んだこと(以下、次回報告に続く)
5)今後の対応と課題
1)建築班ができた経緯
佐藤敏宏は3・11以前から全国各地の建築系の若者などを我が屋や設計した建築に招き、「他者の所有物である建築の共有の方法と課題など」について語り合う場を「建築あそび」と称し、30 年ほど継続・実践していました。専門的な学会や大学系列によらない人と人の交流を自主活動によって行っていました。
建築は社会の総力が生み出す、現在の知を体現する物の配列の集合です。したがって「所有」といった概念でのみ建築を扱うことは、知のアクチュアルな状況やその課題を見失い、次の建築や人と人との交流のありかたの可能性を拓く路を自ら閉じてしまことになるだろうといった想いが動機です。30 年間ほどの間に得た人間関係は日本各地の建築系はもとより、まちづくり系、歴史系、ジャーナリズム系などの多数の専門家と多くの市井の人々に渡ります。その様な多数の他者との交通・交流が、自営で建築設計業を営む「野の者」の私の日常にはありました。
それらの交流で出会った一人、京都市の構造設計を営む満田衛資さんなどが呼びかけ人となり、関西や東京の人々から義援金を集めたようで、2011年3月末日、私の口座へ義援金が振り込まれました。「3・11後の『お前の活動』は『俺の活動』だから、使用目的は制限しないが被災地で何か活動し俺に代わって報告しろ」という内容でした。
宮城資料ネット事務局の佐藤大介とは親子で、ホームページの更新を手伝っていたこともあり大震災直後「事務局のある建物は被災し使えず、宮城県内はガソリンも無く、車も動かせず、サーバーも動かない等、身動きが取れない状況を知っておりました。送られて来た義援金を宮城資料ネットで活用すべく、車と運転手を手配し、宮城資料ネットを4月4日訪ねました。「まずは被災地を観て歩こう」ということになり、宮城石巻市や村田町などを2日掛け調査し、多数の震災被災地と多数の被災土蔵等と出会うことになりました。
双子の蔵で東側の一棟だけが奇跡的に残った石巻市の本間家土蔵も、この調査で出会いました。瓦礫の中に在った本間家土蔵を観察してみると、屋根や壁が傷ついてはいるものの構造上破壊してない事が分かりました。「修繕費は150万円ぐらいなので、送られて来た義援金を使えば修繕できる」と2011年4月4日に思いました。が、自衛隊の方々が目の前で全ての建材を無料で処分している現場ですので公言を控えました。被災した建物を「震災ゴミ」にするか「震災遺構」にするか、誰が判断するのかさえも不明な時期です。
2日間の活動によって「建築系の人と歴史系の人が連携すると土蔵と古文書の所有者の話し合いや今後の連携もスムーズに行きそうだよ。何しろ土蔵の応急手当をするとその場で喜ばれる」。その体感が「建築班をつくろう」という言葉になりました。
ところで、建築物は所有権を発生させることで税を徴収したり、抵当権が付加され融資を受けたりするので、権利関係が常に複雑です。うかつに既存建築と関わると事件に巻き込まれるのは当然の理です。そこで、宮城資料ネットの建築班は何をするのか」明示していただきました。被災土蔵の修繕工事をすすめるには、①修繕工事の請負指示書の作成と工事の監理が不可欠です。また②被災した土蔵から出る、現在では手に入れることが難しい古い建材の整理と保管と管理、③粗壁や漆喰仕上げができる職人探しなどが必要です。②、③までは踏み込むことはない(できない)と思いましたので、建築班の活動に社会的責任を持たせ活動内容を明示した「委任状」を出していただくよう事務局に依頼しました。平川理事長より2011年4月11日に委任状が発行されました。そこから建築班の活動は始まり、現在に至ります。
2)石巻本間家土蔵修繕工事の監理における各段階での問題
震災メモリアルとして残る
2011年4月4日の段階で石巻市の本間家に残った土蔵は、表面は傷ついているものの建築本体は破損しておりませんでした。4月12日に念を入れるために、古建築の修繕・移築などを専門の一つとしている金沢市の橋本浩司さん・中村彩さん、京都市から構造家の満田衛資さんに来ていただき、被災現地の再調査をおこないました。東北大学にある宮城資料ネットの仮事務局に戻り、手描きの報告書を作り平川理事長に提出いたしました。再調査実施の翌日に、持ち主である本間英一さんにも届けられたそうです。本間さんには「こちらで修繕します」と伝えておりましたが、解体しようか迷っている様子でした。本間さんは報告書を読み「我が屋の土蔵を残そう」と決意したと後に聞きました。
4月12日の調査時点で、自衛隊の瓦礫処理班は大きな重機を慣れない手つきで動かしながら本間家土蔵の目と鼻の先まで来ていたので、調査報告書作りなどの対応は檄を飛ばし急がせました。召喚した建築班の仲間に息もつけぬような対応をいただき報告書を提出することができました。工事費については「義援金があるので建築班で払ってもよい。しかし多数の人々と『3・11』を共有することの方が、社会的な意義が大きくなるのではないか」と、宮城資料ネット事務局に口頭で伝えました。
建築班調査の後、石巻若宮丸漂流民の会、石巻千石船の会を中心に「土蔵を震災メモリアルとして残そう」という運動が展開されました。2011年5月26日の産経新聞を皮切りに、9本の記事が発信されました。各地のジャーナリスト達によって作られた記事により、全国津々浦々の人々に伝わる幸いも起きました。多様な事態が重なり、アメリカやロシアの方を含め大勢の方々から325万円ほどの修繕等用義援金をいただくことになりました。 建築文化財ではない、単なる私的土蔵のための修繕資金が集まることは「建築的公共圏の連携」とでも表すべき奇跡的事態だと思いました。
地元の工務店にお願いする
義援金が集まった初頭の問題は、①工事を地元の方にお願いするのか、②土蔵修繕などの主にしている専門家に請け負ってもらうか、その選択をどうするかです。本間さんは「長年屋敷の修繕をしていただいている地元の工務店にお願いしたい」とのことでしたので、本間さんと共に工務店を訪ね見積もりを依頼しました。見積もり書は左官工事を除き5月25日に145万円ほどで提出していただきました。 地元工務店にお願いするマイナス面は、震災特需で各種職人の手配がままならず、工期がどの程度掛かるか示されないだろうということです。
「(人が居住する)住宅ではないので、地元の速度に合わせていこう」ということになりました。「工事を急がず、頂いたお金を被災地の人々の間で運用しよう」という、支援者の願いを選択したわけです。工務店は「やる」とは語るものの、着工時期が示されないまま8ヶ月ほどが過ぎました。
確認書を取り交わす
2011年末に石巻震災土蔵メモリアル基金会則ができたのを受け、2012年1月21日、建築班は本間さんと話し合い確認書を取り交わしました。確認内容は主に5点です。
①集められたお金をメモリアル基金に移動し、使える総金額を把握すること。
②集められたお金の使い方は本間さんの意思によると明示してもらうこと。
③建築班で関わる内容は下記の通り。
・工事の請負契約に立ち会う
・工事内容を確認する
・工事が完成したら確認する
・報告書については別途打ち合わせとする
④150万円以上の基金が集まった場合は、本間さんの意思で土蔵関連の経費として使用する。その使途は佐藤敏宏が監理する。
⑤工事完成後は一般の人々に内部を公開したいので同意していただく事。合わせて展示パネルやフリーペーパーなどを作り配布する。
以上の5項目について確認書を交わしました。また、集まった基金に対し本間さんに贈与税が課税されないよう税理対策を本間さんにお願いしました。公開は1階を主とすることなどを口頭で補足確認いたしました。
工事契約を結ぶ
メモリアル基金への義援金の総額と移動の確認を済ませた後、2012年3月1日工事請負契約を地元の宮林工務店と結びました。左官工事見積もりの提出を求めましたが、「手配がつかない」ということで先送りすることになりました。
工事の進捗記録です。
・2012年3月16日 南面庇工事
・ 3月22日 東面下屋木工事
・ 4月 1日 下屋一文字葺き完成
区画整理計画によって土蔵移築か?
2013年4月10日、石巻市の区画整理の現地説明会にて「区画整理事業に土蔵が掛かり移築するしかない」との話が起こりました。コンサルの担当者が現地を見ないで計画したようですが、その後「震災メモリアル土蔵」のある現地を見て変更図を提出してきたそうです。本間さんに届いておりました。
2013年の工事経過
ほぼ1年中断された工事は、地元の瓦屋さんの手配がついたことで、今年の春より再開となりました。
・2013年4月10日
屋根工事完成 下屋に雨戸が付く
・5月11日
請負工事代金160万円を支払う
・6月12日
工費100万円以内を条件に左官工事を始まる
・7月23日左官工事の現在を確認する
3)修繕工事の現在
7月23日現在、最後に残った左官工事について報告いたします。土蔵4面の傷ついた海鼠壁は元の古い焼き物の素材がゴミとして処分されてしまったので、軽量プレミックスモルタルで、下地形状を作っては乾かし、重ね塗りを繰り返しているところです。今後 数ヶ月掛かると推測しております。漆喰で飾られていた両開きの扉は加工が細か
く、再生復活は難しいので、一端全て落とし下地ができたところです。先のモルタルで下地を塗り重ね、乾かした所定の厚みになった段階で細工物を付ける予定です。
なお、工事監理活動直後から本間家土蔵報告用HPを作り更新しております。土蔵の修繕経過とともに、本間英一さんによる石巻市門脇二丁目・三丁目・四丁目の復興の記録「門脇町2~4丁目コミュニティニュース」などが随時更新されています。目を通していただければ幸いです。
http://www.hanadataz.jp/k/001/00/honma00.htm
(注記)
宮城資料ネット建築班における「修復」と「修繕」の定義
1)修復とは古い技術をよみがえらせ古いままの手法でなおす修繕した箇所が不明になる
2)修繕とは現在の技術を使ってなおす
同じ建築物に古い技術と現在の技術が同置することで被災後の修繕箇所がわかる
修繕後に技術とお金が集まれば「修復する」ことが可能であり緊急時の応急的処置である