208号 川崎町における史料保全活動/川崎町での保全活動に参加して

守る―保全活動

川崎町における史料保全活動

 宮城資料ネット事務局の蝦名裕一です。7月29日と10月10日、宮城県柴田郡川崎町において、江戸時代に同地の領主であった仙台伊達家一門・川崎伊達家の資料群について撮影と保全作業を実施しました。活動では、宮城資料ネット事務局4名と学生・スタッフ一同と、この10月より上廣歴史資料学研究部門に赴任された友田昌宏助教に参加をいただきました。また今回の調査にあたっては、昨年宮城資料ネットが実施したS家の調査に引き続き、川崎町文化財保護委員の大宮金治さんと、川崎町教育委員会の皆さんにご協力をいただきました。

 川崎伊達氏は、享保7年(1722)に仙台藩一門の伊達村詮が川崎要害を拝領したことに始まります。今回調査した古文書群は、長持一棹の中に川崎伊達家当主が所蔵していた書状や知行宛行状を、川崎伊達家の家臣団のご子孫が代々持ち回りで保管してきたもの、という事でした。

【写真1】川崎町公民館での調査風景(10月10日)

 今回調査した資料群の中で注目されたのが、初代伊達村詮(むらあき)の父・伊達村和(むらより)に関する資料が数多く残されていたことでした。伊達村和の父は仙台藩3代藩主・伊達綱宗、母は『伽羅千代萩』(めいぼくせんだいはぎ)の政岡のモデルともいわれる三沢初子です。同じく三沢初子を母とする兄弟に、仙台藩4代藩主・伊達綱村と宇和島藩3代藩主・伊達宗贇(むねよし)がいます。村和は元禄8年(1695)に兄綱村から3万石を分知され、支藩である中津山藩を創設しますが、元禄12年(1699)に江戸市中で家臣が旗本と刃傷事件を起こしたことにより改易となり、以後20年間逼塞することになります。今回調査した資料群の中には、綱村から与えられた書や、綱村・宗贇から送られた和歌の短冊などがあり、綱村・村和・宗贇の藩主三兄弟の親交をうかがわせます。

 今後さらに調査を進めることで、川崎町および川崎伊達氏の歴史はもちろん、僅か4年にも満たない期間存在した、中津山藩の歴史の一端を解明できるものと考えられます。引き続きこれらの古文書群について調査を進めていきたいと考えています。


川崎町での保全活動に参加して

 

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 友田昌宏

 10月1日付で東北大学東北アジア研究センター上廣資料学研究部門の助教に就任いたしました友田昌宏と申します。当部門は宮城資料ネットと連携して資料保全活動を行うとともに、その資料から得られた成果を、歴史講座・古文書講座を通じて、学生や市民の方々に発信していくことを任務として負っております。そのようなわけで、赴任して10日、資料ネットが主催する川崎町の川崎伊達家文書の資料調査に同行させていただきました。今回の作業は資料の撮影でしたが、これまで自己流でやってきた古文書の撮影にもさまざまなルールがあることを知って大変驚かされました。そういったきめ細かいノウハウの蓄積が今の資料ネットの活動を支えているのだと実感した次第です。川崎伊達家文書という貴重な古文書群に出会えた喜びは贅言を要しません。今後とも機会を見つけて資料ネットの資料調査に参加させていただきたいと思っております。

【写真2】川崎町調査の参加者一同(10月10日)

 【追記】本号も、佐藤の不手際で、配信が大幅に遅れておりました。謹んでお詫び申し上げます。(事務局・佐藤大介)