21号 ふすまの下張り文書の整理が終わりました。

2003年宮城県地震救う―救済活動

 前号第20号が今年2月21日の発信でしたから、3ヶ月ぶりのニュースとなります。かなり間隔があきましたが、宮城資料ネットの活動が休止していたわけではありません。ふすまの下張り文書の整理作業という、なんとも根気のいる地道な作業が続けられておりました。今号では、その中心的な役割を果たしてくださった七海雅人さんと、市民ボランティアとしてご夫婦でこの作業に参加してくださった今野則夫さんに、レポートをお願いしました。

 整理を終えた長谷川家文書は4月26日に長谷川家にお返しにあがりました。またこの日は、同じく矢本町の斎藤家に、同家文書の史料目録と史料全点を撮影した電子データ(CD版)をお届けしました。斎藤家は昨年の地震で母屋が全壊してしまいましたが、今回、私たちがお訪ねしたときは新家屋が完成していました。解体した母屋にあった大きな神棚や、意匠をこらした欄間などを巧みに組み込んだインテリアとなっており、設計士がだいぶ苦労したようですと、笑いながら話しておられました。少しでも古いものを残しておきたかったというご当主のお気持ちが伝わってきましたが、地震という巨大な災害にもくじけずに、たくましくよみがえってくるエネルギーもまた感じさせられました。

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矢本町「長谷川家文書」の整理を終えて    七海 雅人
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*昨年の宮城県北部連続地震に際しておこなわれた資料保全活動により、桃生郡矢本町の長谷川家から搬出されたふすま下張り文書の整理が4月に終わりました。遅くなりましたが、整理作業の概況を報告します。

*ふすまは、昨年11月1日におこなわれた矢本町での資料保全活動において、長谷川家から発見されました。当家では、古いふすまの下張りに古文書が用いられていることから大切に保管されており、自然脱落していた一部の文書は額に納めていた由です。古文書の内容を知りたいというお望みのため、宮城資料ネットでお預かりし、解体整理をおこなうことになりました。

*作業は、ふすまを仙台市へ持ち帰り、11月から今年4月にかけて、東北大学東北アジア研究センターの一室でおこないました。不定期でしたが作業の延べ日数は47日、大学の冬休み・春休みを利用した集中的な作業となりました。私を班長に、東北大学の研究員・大学院生が随時参加するという形をとりましたが、特筆するべきは、宮城資料ネットによる桃生郡河南町斎藤家文書のレスキュー作業・東北大学への寄贈を新聞記事でお知りになった一般の市民である今野則夫・雅子ご夫婦の参加です。今回、整理作業にもっとも長時間たずさわってくれたのが今野氏であり、ご夫婦の熱心なボランティア活動がなければ、「長谷川家文書」の史料整理を終えることはできませんでした。

*作業は、つぎの手順でおこないました。
(1)解体前のふすまの写真撮影とナンバリング。
 搬出されたふすまは、すべて枠木ははずされており、全部で14枚ありました。これらにAからNまでグループ番号をふり、また搬出の途中で脱落した文書には「雑」、所蔵者のお宅で額に納めていた文書には「額」のグループ名をふりました。解体前について、デジタルカメラによる各グループの写真撮影はおこないましたが、所蔵者へ早急に返却しなければならない緊急の整理作業であること、私たち作業従事者に十分な技術が備わっていないことなどから、スケッチなどによる文書一点一点のふすまにおける配置位置の記録採りについては、今回断念することになりました。

(2)ふすまの解体
 ふすまの解体は、まず竹べらにより、糊がふけて剥がしやすいところから始め、それが行き詰まった段階で、霧吹きによる湿気入れで糊をうるかし、ピンセットなどを用い慎重に剥がしていくという順番をふみました。ふすまの下張りは、重層的に文書が貼り付けられてできあがっています(いわゆる蓑貼です)。そこで剥がす過程では、一層ごとに番号をふっていき、剥がし終わった文書は層ごとにまとめるように注意しました。この解体作業をおこなった方ならば、よくご理解いただけると思いますが、近世の和紙にくらべ、近代以降の薄手の機械製の紙は非常に扱いにくいものです。湿気を入れると、紙と紙との境目がわからなくなってしまうこともしばしばで、何度もくじけそうになりました。また蓑貼の中には、古いふすま絵がそのまま一枚丸ごと使われている事例もありました。こういった大きなものから、わずかの紙片や、紙と紙との間に挟まっていた釘にいたるまで、解体の過程で現れたすべての史料を回収・保存しました。

(3)ラベルの貼付・写真撮影・封筒詰め
 回収したすべての文書・絵・釘について、グループ名・層番号・史料番号の3点を記した和紙製のラベルを貼り付けました。また破損文書については、和紙の小片を裏側から貼り付けて破れ目を手直しするなど、ごくごく簡単な修復もおこないました。
こうして一通りできあがった史料群は、全点デジタルカメラで写真撮影し、層ごとに中性紙封筒に入れ、ふすまのグループごとにまとめて封筒の束をつくりました。さらにこの封筒の束を二つの中性紙製の紙箱に納め、それぞれの箱に防虫香を入れて整理作業は完了しました。

(4)数点の史料翻刻
 今回は緊急の作業ということで、文書すべてに関する目録の作成はおこないませんでした。そのかわり、所蔵者に対しては、数点の文書の翻刻をお渡しすることになりました。幕末の婚姻関係や肝煎の業務、明治期の村会議員としての活動、宿屋の営業など、長谷川家の歴史が浮かびあがるような一紙ものの文書を11点選びました。所蔵者へは、整理の終わった二箱、デジタルカメラの写真を収録したCDロム、翻刻した史料の原稿の3点をお渡しすることになります。

*14枚のふすま下張りを解体した結果、史料の点数はおよそ1100弱となりました。江戸末期から明治期にわたるもので、肝煎・村会議員・宿屋などの役職・営業にかかわる文書、私信、矢本村の村政文書、神社・寺院のお札類、帳簿断簡などから構成されています。これだけ多様な史料が出てくることは予想外であり、長谷川家という家に集積された文書を通して、江戸~明治移行期の矢本村の様相がよくわかる内容だと思います。ただし、鉛筆書きなどの書き込みがあるものもあり、糊付けや表装の仕事が雑なことから(このため、解体作業も苦労させられました)、これらの文書が下張りに提供されたのは、昭和になってから(もしかしたら戦後)ではないかという感想ももちました(この点は、私自身が聞き取りにあたっていないので、あくまでも感想です)。

*今回の作業では、解体を終えた直後、京都造形芸術大学の尾立和則・宇田川滋正両氏が訪ねてくださり、ご指導を受けることができました。私たちが何度もトライして剥がせなかった明治の罫紙を、尾立さんが、わずか20分ほどで剥がしてくださった時の感動は、生涯忘れることがないと思います。紙を剥がす際の基礎的な方法、ラベルの張り方なども教えていただきました。何よりも、「失敗を重ねて技術は進歩していくものです」、というお言葉は、大きな励ましになりました。
 表装教室で紙表具に馴染んでいたとはいえ、私自身、これだけ大量の文書を剥がすという作業は初めての経験でした。そのため、自分のことで精一杯で、作業に参加してくれた方々に対して、技術上の十分なアドバイスができなかったことに悩み続けました。結果、学生諸君には「難しい」という印象が先行してしまったようで、湿気入れをともなう解体作業は、事実上、私と今野さんご夫婦だけになってしまったことが、今回の大きな反省点です。どのようにすれば楽しく参加できるのか、技術の一層の向上とともに課題であり、類似の作業を任された場合は、より手際のよい仕事ができるように、マネージメントの能力も含めて腕を磨いていきたいと願っています。

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○襖の下張り剥がし作業 今野 則夫
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 職を離れて年金生活、「毎日が閑なのはなんと素晴らしい。」と時間を謳歌していた。
 しかし、時が過ぎるにつれ「待てよ。まだまだ体が動く、なにか世間の足しになる事が出来るのでは。」と考え始めて来た。そんな折りに新聞で、河南町の斉藤家より大量の古文書が東北大学に寄贈され、大学はその整理に数年を掛けると言う記事を見た。大変な仕事の様だが、下働きが必要ではないかとピピッと感ずるものがあった。
 さっそく東北大学に赴き、飛び込みで平川教授に面談したら、教授は斉藤家はさておき差し当り現在、平成15年の県北地震により被害を受けた矢本町の長谷川家の損壊した襖について、下張りされている古文書を剥がす作業中だが人手が必要との話であった。
 作業に入り、驚いた。下張りは薄い紙が何枚も何枚も、引っ繰り返し・おっくし返し貼られていて、一枚一枚剥がすのは至難の業である。大変に根気のいる仕事で、どちらかというと気の短い私には、すぐに背中が梓くなる。それでも年の功でこつこつと約2ケ月掛かり、悪戦苦闘の未剥がし終えた。最初は手探り状態であった作業も、終盤近くには幾らかコツを掴んだような気がする.下張り古文書を解読する為の下準備の作業であり、解読整理作業全体からすればまだ緒に過ぎないが、でも剥がさなければ始まらない。流れの中の一端を担えた事に満足した。
 どんな作業でも成し遂げた時の満足感は、人に与えられた特権であり、生きがいともなる。一度だけの人生は終生挑戦であり、充実感によってのみ幸福と成り得ると思う。
 一日の作業を終え、近くの老人福祉施設で入浴し、もみもみチェアーで肩揉みして帰る爽快さよ!

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宮城歴史資料保全ネットワーク
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東北大学東北アジア研究センター 平川新研究室気付
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