216号 宮城資料ネットに通い続けた日々

救う―救済活動東日本大震災

東北学院大学 文学部歴史学科4年 遠藤みゆ


 私の五年日記帳によれば、初めて宮城歴史資料保全ネットワークを訪れたのは2011年9月6日、迷って13分遅刻した午前10時03 分のことでした。古文書学の講義の始めに、菊池慶子先生がボランティアを募集されたことがきっかけでした。慣れない手つきでクリーニングした学校資料、とても明るい市民スタッフ、潮とカビのにおい、今も鮮明に覚えています。「古文書に触れると聞いたけど、学校資料って古文書?」そんなことを思ったあの時の私は、その後大学生活の半分を捧げることになるとはまだ知る由もありませんでした。あれから二年半、被災資料のクリーニングと整理に携わらせていただきました。今回、メールニュースの場で大学卒業に際して振り返る機会を頂いたので、少しだけ日記帳を遡ってみましょう。
 (右絵:市民スタッフとともに応急処置 2013年8月)

 「2011年12月22日晴れ。古文書の整理をした後、大掃除。休憩はいろんな地域のお菓子を食べられるし、貴重な話が聞ける。異世代間交流の面白いこと!」大学2 年生のうち作業に参加できたのは夏と冬の数日だけでした。それでも卒業まで参加したいと思うには十分な時間だったようです。歴史資料を扱う細かく地道な作業も好きでしたし、なにより一緒に作業している人生の先輩から聞くお話が面白いのです。仙台の歴史講座、ネイティブ方言講座、キノコ・鳥類観察講座、コヨリ製作講座、こんなに面白いカリキュラムはどこの大学を探しても無いでしょう。


 「2012年4月26日天気未記入。今日は古文書洗いに行った。エプロンとバンダナを使ったら給食当番みたいと言われた。」古文書にのめり込んでいった頃、作業場では白衣の上にエプロンを身につけ、洒落た柄の手ぬぐいを頭に巻く人が増えていました。カビや汚れから身を守りつつ、オシャレも楽しむ良い工夫だと思い、さっそく私も少ない貯金でエプロンとバンダナを買いました。作業場に馴染み、学生の参加も増えて大切な友人達と出会えました。

(右絵:)ふすま下張り文書の整理に取り組む 2013年12月)

 「2013年3月5日晴れ。茨城での作業1日目。宮城式で文書撮影。作業後は満月城へ。多くの先生方と言葉を交わせた。」一年間古文書の読み方を学び、史料の洗浄・撮影などを体験した私は積極的に他県の活動にも足を運ぶようになりました。この頃から生涯資料保全に関わるにはどうしたら良いのかを模索し始めていたのです。先生方に相談し、大学院に入る道や工房に就職する道などを提案していただきました。家族の状況を考えて長く悩んだ末、自分の納得できるよう導き出した結論は、働きながら休日のレスキュー活動に参加する道でした。五年日記の最後の一年は、岩手で働きながら家族孝行をして、休日は史料レスキューもしくは古文書の勉強、そんな内容になるでしょうか。


 作業の中で扱う史料は家計簿や学生のノートといった日常で使われてきた紙が中心で、数百年前が身近に感じられる不思議な感覚になります。この日記帳も数百年後まで残ったら古文書と呼ばれるでしょう。そんな気恥ずかしいことを考えるようになった今、あの時の学校資料も未来の古文書なのだと理解できるようになりました。それを理解した時、宮城資料ネットで過ごした二年半で得たものは、「おおらかな視野」だと気づきました。歴史の中の百年単位で考えればほとんどの悩みが些細に思え、日々の日常がとても大切に思えるから不思議です。そして静かに作業に没頭すると、日々の喧騒から離れられて気持ちが安らぎます。これが二年半通い続けた一番の理由です。
  (右絵:スタッフ一同、お揃いのバンダナで 2013年1月)

 最後になりましたが、平川先生、佐藤先生、蝦名先生、天野先生、活動でお世話になった先生方、そして共に活動した市民スタッフと学生の皆さんに感謝申し上げます。本当にありがとうございました。卒業後も私にできる範囲で資料保全に貢献してまいりますので、これからも宜しくお願い致します。 

 (編集追記)
 遠藤さんほか、東北学院大学から参加した6名の学生が、今日3月25日に同大学での卒業式を迎えました。事務局一同よりお祝い申し上げると共に、これまでの心より感謝申し上げます。これからも歴史資料への愛着を忘れず、社会人として、それぞれの道でのご健闘を祈念いたします。