228号 神に捧げられる古文書―仙台市・志賀家文書、鹽竈神社へ寄贈―

守る―保全活動

東北大学東北アジア研究センター 高橋陽一

 8月3日(日)、鹽竈神社の拝殿にて仙台市志賀家文書の神納式が挙行されました。酷暑の中、志賀家のご一族、NPO法人宮城資料ネットの佐藤大介氏、NPOみなとしほがまの高橋幸三郎氏、高橋の計約20名が参列しました。神納式は、古文書が塩釜神社博物館に寄贈されることに伴う儀式で、約30分間にわたり祝詞の奏上や神楽の奉納などが厳粛に執り行われました。


     (絵* 中央 拝殿に置かれた古文書箱 )

 志賀家は、仲哀天皇の時代に近江国志賀から陸奥国に移住したという由緒を持ち、江戸時代には鹽竈神社の神職として祝詞の奏上役を担っていました。もとの居宅は現在の多賀城市市川字作貫にあり、明治時代には宮城郡市川村の村長も務めましたが、多賀城の史跡指定に伴い同地を離れ、仙台市に移住しました。

 志賀家文書を知るきっかけは、私が所属する東北大学東北アジア研究センターの事務室に志賀家の御親族が勤務され、相談を受けたことです。現在の志賀家が私の自宅のご近所(斜め向かい)であったことも奇縁でした。昨年、休日に気楽な気持ちで同家を訪れたところ、木箱に収納された大量の古文書を目にし、思わず居住まいを正したことをよく覚えています。確認された古文書は江戸時代前期以降の約300点で、祝詞や神道裁許状、神社の縁起・蔵書目録、用務の留書など、奥州を代表する鹽竈神社の来歴を明らかにすることのできる貴重な史料群でした。古文書の写真撮影や封筒詰め、寄贈に至る手続きに関しては、宮城資料ネットのご協力を得ました。


 志賀家文書の確認から寄贈に至る一連の過程に関わることができたのは、大変幸いなことでした。古文書が寄贈される際に神事が行われること自体が珍しいのでしょうが、そこに参列するのは勿論初めての経験でした。古文書の保全にやりがいと誇りを感じることのできた瞬間でした。古文書についてご相談くださった志賀家の皆様、神納式を挙行していただいた鹽竈神社の皆様には、厚く御礼申し上げます。

 志賀家文書の調査を通じて実感したことは、まず古文書は本当に身近にある(今回は自宅向かいの家にあった)ということです。土蔵や門があるような古民家風の居宅ではない、住宅地の一角にも古文書は眠っています。普段の近所付き合いから、常に人とのつながりを大切にしておかなければならないと思いました。

    (絵: 神納式のようす)

 また、古文書が人と人を結びつける「縁」を作り出すことがよくわかりました。今回の神事に際し、志賀家の御一族が20名近く参加されましたが、顔を合わせるのが久々だという方もおられました。家に残る古文書が家族のつながりを再認識するきっかけになったのです。一家のアイデンティティとして、古文書が重要な機能を果たすことを実感し、歴史資料保全活動の大きな意義を再確認することができました。今後、展示や研究を通して志賀家文書が有効に活用されることを期待したいと思います。