258号 石巻市北上町・雄勝町での写真帳返却 遺されていた被災古文書 東日本大震災5年・被災地より(2)
2016.02.23
宮城資料ネットの佐藤大介です。東日本大震災5年の歴史資料救済活動の現状報告、最初の発信から時間が空いてしまいました。今回は、津波で原本を失った、石巻市北上町および雄勝町の所蔵者の方々への写真帳返却についてです。
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同地区の古文書被災については、ネットニュース100号でお伝えしておりました。北上町史編さん事業で撮影された古文書については、当方も含めた関係者が保管していた写真が残されました。昨年12月20日と22日、事務局らで6家を訪問し、ようやくお手元にお返しすることが出来ました。
先祖伝来の古文書写真をご覧になって泣き崩れた方、「先祖から受け継いだ文書を失ったことが一番悔しかった。今日が一番嬉しい日だ」とおっしゃった方、古文書に加え刊行された『北上町史』も、町民配付分に加えすべての在庫が津波で失われてしまう中、地域の歴史を知る手がかりを何とか残したいと依頼される方。感謝と、先祖や地域の歴史を残すための活動への強い期待を感じる機会となりました。
保管されていた被災古文書(2015年12月24日仙台市にて撮影)→
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また、20日に訪問した一軒の所蔵者方では、被災した古文書の原本を保管されていることが分かりました。津波で自宅が流され、その後片付けに訪れると古文書が散らばっていたので拾い集めた、ただ、誰に相談すれば、どうすればよいのか分からなかったので、今までずっと保管していた、とのお話しでした。文書は、中性紙封筒に整理されたままの状態で、すでに乾いていました。冊子体の文書は固着しています。すぐにお預かりし、仙台に輸送しました。
今回救出された文書も、私が北上町史編さん事業にアルバイトとして関わっていた13年前、2002年7月3日に撮影し、目録作りをしたものです。ぼろぼろになった中性紙封筒には、私が手書きした整理番号も記されていました。ネットニュース100号では、上記古文書の被災を「自分自身の人生の一部を失ったようだ」と記しました。今回、一部ではあっても原本を救出できたことは、私自身にとっても、人生の一部を取り戻せたような気持ちがしています。
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今回救出した文書を、今後どのように処置していくかは未定です。修復が実現可能なのかどうかも分かりません。所蔵者の方には、その成否にかかわらず、文化財の被災を後世に伝える資料として生かしたいとお伝えしています。
その一方、今回訪問した所蔵者のほとんどが、ようやく新しいご自宅など生活の拠点を確保できたばかり、という状況でした。すなわち、被災した古文書があったとしても、所蔵者の方々は、ようやくそれらに目を向けることが出来る状況になってきた可能性がある、ということでもあります。その意味では、特に個人所蔵の被災史料レスキューは、まだこれから対応すべきことがある、と言えるのかもしれません。
本ニュースをご覧の方々には、被災した歴史資料の救済活動を実施していること、たとえどのような被災状況にあっても修覆出来る可能性があること、もし不可能だったとしても、東日本大震災の脅威を後世に伝える「史料」として保管しておいてほしい、ということを、多くの方々に広めていただければ幸いです。