261号 被災歴史資料保全と市民 その役割とは・震災5年目に考える

広める―普及活動救う―救済活動東日本大震災

 佐藤大介です。宮城資料ネットでは、東日本大震災をきっかけに、数多くの市民の方々に、被災歴史資料の救済保全、さらには地域の歴史資料保全活動への協力を得ています。現状についてご紹介し、そのことについて私自身が今考えていることを述べてみたいと思います。


 2011年5月から始まった被災資料の保全活動に、数多くの市民の参加を得ていることは、前号でも述べました。参加の呼びかけは、災害後の本ニュースや公式サイト、仙台市博物館友の会やシルバーセンターでの呼びかけに加え、会員個人の友人関係など震災「前」からのつながりを生かしたものでした。参加人数は別途整理する必要がありますが、数百人単位に登ります。
 私個人としては、市民参加については、当初は「人手不足の解消」程度の意味にしか考えていませんでした。しかし、活動を5 年間続ける中で、そのような発想は、「市民の力」に対する認識が決定的に不足していた、ということを痛感させられています。


現在、「常連」となっているのは、仙台地区の方々です。そのほぼ全員が、古文書に触れるのは初めて、という方々でした。補修や撮影作業に際しては、依頼している文書が被災地の歴史を知る上で貴重な史料であることを直接伝えたうえで、「古文書が読める専門家」としての立場から、折々に目の前で作業をしている内容を即興で読んで伝える、ということをしてきました。
 その影響かどうかは分かりませんが、作業を開始してから1年程過ぎると、「自分たちが補修している文書には一体何が書いてあるのか」という興味関心が共有されるようになっていました。そのため、作業の終了後に、週一度程度の古文書解読講座が開かれるようになりました。
 さらに、その一部の方々は、講座以外にも古文書を独習して解読力を高め、ついには、保全した史料を解読した報告書を編集するまでになりました。今では、当方が、解読した古文書の校正を依頼し、真っ赤になって戻される、という関係になっています。「私のような研究者に情報提供するだけでなく、自分で研究することにも挑戦してみてください」とも助言しています。

  (上・下)補修作業終了後の古文書解読会
  (2013年2月18日撮影)



 また、今年に入ってからは、自分たちで現状確認から整理、報告者の作成まで一貫して行いたい、先生(佐藤)は必要な部分だけご指導ください、という申し出がありました。仙台市内の個人所蔵者を対象にした保全活動が自発的に企画され、被災資料対応とは別に、週1回の保全活動が始まっています。


  市民の方々が資料に触れるきっかけは、東日本大震災という不幸な出来事でした。一方、そのことが、女性や高齢者といった方々でも出来る被災地支援の場となったことは、以前にも述べたことがあります。そのことに加え、現物に触れることがその内容に対する関心を深め、ついに自ら「研究」し、保全活動の担い手として主体的に活動する方々も生まれるに至りました。
 災害を契機に社会が変化する、ということがよく指摘されます。その意味では、宮城資料ネットも本当の意味での市民参加型の史料保全組織になった、といえるでしょう。
 さらにいえば、その活動を通じて、地域の歴史資料の保存と継承、さらには内容の調査まで担う「郷土史研究者」が生まれる場としての可能性も持ち得た、ということもできるのかもしれません。



 一方、「専門家にしか出来ない領域がある」とか、「郷土史はナショナリズムを助長するので慎重に」といった「指摘」を受け、またそのような主旨の文章を目にすることが折々にあります。
 修復も郷土史研究も、確かに守らなければならない「基礎の「き」」があることは言うまでもありません。であれば、専門家なら、そのことをわかりやすく伝えることこそが、社会的な責務なのではないでしょうか。
 またこのような指摘に、「市民は、市民でしかない」というような意識を感じ取ってしまうのは、想像力の行き過ぎなのでしょうか。市民の力を信頼する―このような表現自体も、「専門家」側の目線に立ったものになってしまうのかもしれません。しかし、特にこの1年ほどの市民の方々と協働を通じて、そのことの重要性を強く感じるようになっています。言いかえれば、社会における「歴史の専門家の役割」とは結局何なのか、ということを厳しく問われ続けている日々でもあります。


 もちろん、保全活動に参加するすべての方が郷土史研究者になるべき、ということではありません。これも宮城資料ネットの活動報告で折々述べてきたことですが、解読や目録作りは、史料の活用のためには重要な作業の一つですが、それでも保全活動全体から見れば、「ほんの一部」のことです。
 モノとしての安定を保つ、環境を整えるための掃除、さらには組織の運営や資金の確保といった、古文書が読めなくても出来る多様な領域があります。それゆえ、多様な市民参加の機会があるのです。

 史料ネットという形をとるのか、行政が主体となるのか、組織のあり方も多様であってよいでしょう。どのような形であれ、このような場が全国津々浦々に出来ていけば、多くの歴史資料が災害から守られ、さらに歴史資料を核とした新しい地域作りにもつながっていくのではないか、と考えています。すこし期待が大きすぎるでしょうか。

 最後に、社会を経験した方々から見ると、当方の事務運営は危うさ一杯、だそうです。次年度に向け、組織運営の面でも、より積極的な形での参画をお願いできればと、個人的には考えているところです。
 
 市民ボランティアによる古文書解読報告書3点
 市民ボランティアによる仙台市内の資料整理 (2016年2月5日撮影)