270号 研究成果を発信する―伝える、つなげる技術と心意気

広める―普及活動東日本大震災

只野俊裕(蕃山房)

『よみがえるふるさとの歴史』全12 巻が完結しました。本シリーズの制作を進める中で、著者(発信者)と読者(受信者)との親和性という観点から、書籍制作者(*)として多くの示唆を得ることができました。その一部分ではありますが、心がけたことや感じたことなどを書き留めてみたいと思います。
これが著者の皆様への恩返しとなれば幸いです。また、一般の読者の皆様には舞台裏をちょっとだけご覧に入れたいと思います。

*書籍制作者:書籍は、企画・編集から印刷・製本・加工までを含めた、それぞれの工程の専門家たちの作業によって出来上がります。その全体の制作工程を制御する役目の人を表す、的を射た言葉が見つかりません。一般的にはブックデザイナー、装幀家、プリンティング・コーディネーターなどの言葉を聞きますが、ここでは書籍制作者と呼称することにします。

1.地元の歴史の話をしてほしい―地域と研究者

本シリーズはNPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク(宮城資料ネット)により企画され、公益財団法人上廣倫理財団の出版助成金を得て、蕃山房より出版されました。平川新氏(宮城資料ネット理事長)は次のように述べています。「被災地で復興に取り組む人、やむなく被災地を去る人のいずれにとっても、「ふるさと」を想起する歴史の叙述が求められているのではないかと思われた。(中略)私たちには建物や景観を復元することはできないが、歴史研究者としての専門性を活かし、叙述によってその地域をよみがえらせることはできると考えたのである」(平川新 『歴史学研究』№924 2014)。さらに「執筆者には、むずかしい専門用語は用いず、平易で簡潔な文章を心がけていただいた」(同前)とあります。この意図を受けて執筆された原稿を、具体的な書物という形に表現することが私の課題です。

研究者は学者と教育者の二つの役割を担っています。学者として研究成果を発信する専門書を刊行する場合と、教育者として一般市民の中に学問を生かしていく教養書を刊行する場合とがあります。前者は、自身の研究の最先端を論述します。対象とする読者は専門家です。後者は、研究成果と社会との関わりを論述します。対象とする読者は一般市民です。一人の人間が取り組むことですから、これら二つの役割を切り分けることはできませんが、どちらに比重を置くのかを考えることで、対象とする読者を意識することができます。そのことが作品にふさわしい表現を探求することになります。研究者が他の研究者の作品を読む場合、その領域での基本的な了解事項に則って理解が進んでいるのだろうと想像していましたが、果たしてそうなのだろうか、という疑問も浮かびました。一方で、著者自身が研究成果を主張する為の表現を練り上げて楽しんでいるようにも思えました。そのようなアカデミックな研究成果を、一般読者が身近なものとして読み進めるための工夫を過不足なく積み上げてゆく作業は、やりがいのある挑戦でした。

2.作者と読者をつなぐ書籍設計

出版社が新刊本を作るとき、その発行趣旨を立て、それにふさわしい書籍制作を計画します。そして多くの読者を得るための販促計画を立てます。ここでは書籍制作のことをお話しします。以下に述べる書籍制作の作業は、それぞれ専門家に割り振り、指示を出し進めることになります。書籍制作者は原稿を読み、作品の世界観を想定します。そして相応しい判型(本の形と大きさ)、組版設計(書体、一行の文字数、一頁に入れる行数とその行間、天・地・のど・小口のスペースなど、を決める)、用紙選定、印刷・製本・加工方法の決定などを行います。本文の組版設計は書籍設計の肝となります。その要素は文章、図、表、写真です。さらにルビ、注番号、注記、文字以外の記号などの約束事を決めます。図、表、写真の表現の方法も決めていきます。その子細な項目は多岐にわたり煩雑でもありますので、今後の話の中に二三紹介するに止めることにします。これらの一連の作業は、著者が発信する情報を整理し、読者の読書を助けるために行います。

さらに、作品の質を保つために、査読と校閲を行います。本シリーズの校閲については三人態勢を取り、そのスタッフの一人に、文章を読む能力のある一般の方を迎えました。読者にとって分かりづらい部分を顕在化するためです。その読者目線からの指摘を克服するために、構成の変更や、焦点を明確化する工夫を提案しました。専門家同士であれば特に不便は感じないところなども、一般読者を想定して文章を調整する試みをしました。その他にも、同じ言葉の重複使用などを含めた著者の書き癖、ワープロの漢字変換のミスと思われるものなどの確認を行いました。本シリーズは「です」「ます」体で文章を統一しましたので、「だ」「である」体に慣れている著者にとっては苦戦の跡も見受けられました。全体を通しては、「執筆要綱」を設けて進めたので、それに照らして多くの個所の文章を調整していくことができました。和暦西暦の照合、参考文献の照合、歴史事象の解釈やその出典の確認は、インターネット、辞書、原書籍を活用することで確認できますので、それをもとに著者に注意を喚起し精度を上げる取り組みを行いました。

3.著者にとって自明のことが、読者にとっても自明のこととは限らない

漢字に仮名を振ることについて考えてみましょう。例えば地名を例にとります。仙台市の南隣に名取市があります。その太平洋沿岸に津波被害を受けた「閖上」があります。宮城県以外にお住まいの方で、これを「ユリアゲ」と読める方はどれくらいいるでしょうか。同じことは作品に登場する氏名、地名、文書名、固有名詞などにも言えることで、「著者にとって自明のことが、読者にとっても自明のこととは限りません」ということです。そこで、氏名、地名、文書名、固有名詞などの初出には全て振り仮名を振ることにしました。これによって、読みが分かれば読者は辞書で調べることができるという利点も生まれます。読者が安心して読み進めることができるということです。この提案をしたところ、著者の中には各章ごとの初出にルビを振ることにした方もありました。この方法は有効であると思いました。

研究が孤独な作業であるならば、出版(発表)は作品を世に問う開かれた行為です。ここにおいては、読者におもねるということではなく、歴史的知見を直接読者に届けるための表現を模索するということが求められます。その工夫をするのも書籍制作者の役目です。

4.一番ふさわしい表現は何か。

書籍制作者は著者の情報を整理して、読者が作品世界の中を読み進めることができるように、書物の統一感を保持し、誘導する工夫をします。どこの出版社でも、本文書体との相性を考えて図・表・写真に使用する書体や線の太さを選定します。図・表・写真がリズムを崩さないように、むしろ読み進めたくなるように組版の方針を定めています。快適に視線が進むように書物の環境を整えます。それが鼻につかないように、表現の工夫をしていることに気付かれぬままに読み終えてもらうことが、良い組版設計であるといわれます。ここに異質のものが挿入されると書籍は台無しになります。たとえば、学会発表の時に作成したパワーポイント(スライド)データを、論文や書物の図・表としてそのまま使用している場合です。これは避けてほしいことです。一度作ったものは、執筆者にとっては、見慣れており、納得しているものですから、そのまま使いたいと思うことでしょう。しかし、新しく書籍用に作り直せば校正をしなければなりません。厄介なことですが、これを書籍に流用することは控え、書籍のための図・表を印刷所で作成してほしいと思います。パワーポイント作成の傾向を見ると、一枚の画面に複数の要素を詰め込んでおり、ご本人にしか分からないものを映し出して聴衆の顔も見ないでスクリーンばかり見て説明している光景を見かけることがあります。せっかく聴衆を前にしているのですから、顔を見回しながら語りかけて欲しいものだと余計な事まで考えてしまいます。

パワーポイントを例に挙げましたが、それだけに限らず、様々な発表形式に効果的なツールを作って、発表する機会があります。例えば、ポスターセッションに使うポスター、一枚物のチラシ、二つ折りのプログラム、少数頁の要旨集など、それぞれに表現の形と取り組み方が違います。目前の現在に間に合わせる情報発信か、熟読に耐えうる作品としての発信か、それぞれの役目にふさわしい表現があります。

現代はパソコンと出力機があれば、形あるものは出てきます。しかし、無残なものをたくさん見かけます。個人で使うものや内部資料であればともかく、公にするものであれば専門家の手を通すことをお勧めします。彼らはメディアの誕生と言われた活字版印刷術の発明から、およそ600年にわたって受け継がれ革新を重ねてきた表現の研究を受け継いできているからです。研究者としての大切な情報発信なのですから、一番ふさわしい表現は何なのかを考えることが大切です。情報の取捨選択を行い、独りよがりにならない効果のある発表をするために、相棒としての書籍制作者を確保できれば理想的だと思います。

5.おわりに

書籍制作には様々なことが起こります。例えば、著者が入稿日を守らない、そして納期は変わらない。校正紙には、親の敵に会ったかのごとく紙面が真っ赤になるほどに赤字が書き込まれるが、その修正予算はつかない。色々あります。とは言いながら、これらの問題は、印刷自体の宿命ともいえるのです。

印刷は作品を定着させます。良いことも悪いことも、正しいことも間違っていることも、定着させて訂正が利きません。これが印刷の特徴の一つであり、現状を未来に伝える大きな役割です。著者は覚悟を迫られるのです。入稿までは、この原稿で本当にいいのかと。校正の段階では、このまま後世に残るけど良いのかと。もう一つ。著者の中には、パソコンで原稿を作成した時には良いと思った文章が、組版設計に基づいて組版された自分の文章を見たときに、過不足を感じて直したいと思った方は少なくないと思います。これが最終の形になるからです。文系の論考は、言葉を磨き言葉を重ねてゆくことで作品の世界が成立するという面もありますので、校正の最後の最後まで止むを得ず赤字を入れる気持ちは分かります。しかし、冒頭にも記したように、書籍の制作工程には多くの人たちが関わって作業を遂行しています。完全原稿を印刷所に渡しているはずなのですから、できるだけ無体なことは避けたほうが良いでしょう。

2015年6月8日の文部科学省の通達により、いわゆる「大学文系不要論」として議論が湧き起りました。高等教育機関に文系が不要なら理系も不要です。文系も理系も人を成り立たせるものとして分かち難く在るものだからです。つまり「大学文系不要論」がこのまま進んでしまえば、人が人でなくなってしまう危惧を抱きます。ここは将来にわたり、人が人として立ち行くために、文系も理系も丁寧にその在り方と関係性を問うてみる契機としてほしいものです。そのような観点から、東北大学災害科学国際研究所の文理連携の取り組みは注目に値します。さらにその研究組織である歴史資料保存分野における、被災歴史資料レスキュー活動への一般市民のボランティア参加は、社会に開かれた学術研究の姿勢を示す先進的な取り組みです。東日本大震災は、垣根や壁を越えて協力しなければ、この困難は超えることができないことを教えてくれています。『よみがえるふるさとの歴史』は、ふるさとの歴史を知りたいと願う被災地の方々の心の復興に、少しでも役立つことができればと考えて刊行されました。著者の皆様にはご自身の作品をもって、歴史学の存在意義や楽しみや面白さを、関係者や一般の皆様に強く紹介していただきたいと思います。学術作品を世に問い続けることが、「大学文系不要論」への姿勢を示すことにもなります。

この出版活動において、12名の著者の皆様と仕事をすることで、研究者は休むことなく常に活動していることを目の当たりにしました。本シリーズの編集を終えて、著者の身近に、または組織の一員として、気兼ねなく相談できる書籍制作者が居て欲しい、その必要性を強く感じたということを重ねて記して筆を擱くことにします。