279号 石巻市「旧相馬邸」での緊急史料レスキュー

救う―救済活動東日本大震災

 事務局佐藤大介です。ボランティア募集以外のニュースがすっかりご無沙汰になっておりました。一年間の活動概要は別途お送りすることにしますが、今回は22日に石巻市住吉町の「旧相馬邸」で実施した緊急史料レスキューの報告です。


「旧相馬邸」は、明治維新後、陸奥中村藩の領主であった相馬家が、石巻での活動拠点として設置した土蔵および邸宅です。石巻市街地を南北に流れる北上川河口の西岸にある住吉町で、函館に向かう土方歳三が宿泊した旧毛利邸や、廻船の外板を再利用していた旧勝又医院とともに、江戸時代以来の「港町・石巻」の風情を伝える建築の一つでした。

 3.11の地震とその後の津波では、一階の半ばぐらい、約2メートル浸水しましたが、致命的な損傷は免れていました。地元の市民からは行政に対して移築しての保存を求める提案も出されましたが、先月の末、石巻千石船の会の本間英一さんから、来年初めに解体されることとなったと情報提供を受けていました。ふすまの下張りに古文書が見られるとのことで、解体にあわせて搬出するための調整を続けていました。

 ところが、今日の午前中、本間さんから電話があり、急に解体工事が始まったとの連絡がありました。所有者の方からも突然のことだった、と現場でうかがいました。「今日の今日」なので、参加者を募って対応するわけにはいきません。私自身は、今日までを予定していた用務を終え、職場の公用車の返却手続きをしようとしていたところでしたが、返却は取りやめ、石巻市教育委員会文化財課に搬出物の一時保管をお願いした上で、一人で現場に急行しました。

 正午に現場に到着すると、すでに解体業者が入っており、植えられていた庭木が次々と切り倒されていました。現地で石巻千石船の会の菊池益夫さんと、石巻市教育委員会文化財課の櫻田逸子さんと合流しました。解体業者から明日23日には解体を終了する予定である事を伝えられたこと、救出史料がふすまのみであることが確認出来たこと、菊池さんのご尽力で敷地内の一時保管場所が確保されていることから、3名でふすまの搬出を実施しました。このような状況なので、現状記録はごく簡略に済ませ、搬出を最優先しました。2時間ほどの作業で、ふすま42枚。これらは、櫻田さんに速やかに段取りしていただき、週明けに文化財課で文化財収蔵庫に搬出、保管していただけることになりました。



 ひとまず、モノは残すことができました。今回は様々な条件が重なって、何とか少人数でも対応出来ました。地元市民や行政の現場での対応も円滑だったといえるでしょう。今後、堤防工事などの進展によりさらに対応が増える可能性があるとのこと、引き続き連携して対応する準備を整えたいと思います。

 一方、せっかく3.11を耐えた伝統的建造物は、姿を消すことになりました。震災前に解体された旧毛利邸、私たちが史料レスキューを実施後に解体された旧勝又医院、そして今回の旧相馬邸・・・。やむを得ない事情とはいえ、私個人としては、「たたずまい」を残すために、もう少し何かできなかったのかという無力感で一杯です。それは、災害「後」に始めるのでは遅い。平時から深く地域とかかわっていなければならない、ということを改めて突きつけられたということでもあるのでしょう。

 現場の近くには、「石巻」の由来となった「巻石」と、芭蕉一行が訪れた「袖の渡り」の史跡があります。3.11の津波で大きな被害を受けたこの史跡へ行くことは、いまは出来ません。地盤沈下のため仮設防波堤で、橋が遮られているからです。

この姿を、「3.11の復興の現実」と重ね合わせてしまうのは、私の考え過ぎなのでしょうか。