356号 台風19号 宮城県内での活動状況について(2)

2019台風19号守る―保全活動救う―救済活動

10月12日の台風19号豪雨災害にともなう本法人の活動につきましては、10月29日発行の「宮城資料ネット・ニュース」355号にてお伝えいたしましたが、本号ではその後の活動状況についてお知らせしたいと思います。

10月29日 涌谷町水損歴史資料の処置

10月29日(火)、歴史資料ネットワーク副代表の松下正和さん(神戸大学特命准教授)に事務局までお越しいただき、22日に涌谷町でお預かりした水損歴史資料の応急処置を実施しました。
お預かりした近世~近代の歴史資料2箱分は、事務局に搬入後すぐに冷凍庫にて保管していましたが、これらの資料の乾燥のため、家庭用真空パック器や布団圧縮袋を用いて「スクウェルチ・パッキング法」という方法で実施しました。この方法は1990年代にイギリスで考案、2002年のプラハ水害の際に用いられ、3.11以後日本でも広く使われるようになった紙資料の吸水法です。
処置は、水で濡れて凍ったままの資料を新聞紙で包んで、真空パック器や布団圧縮袋で空気を抜いて真空状態にします。そのまま新聞紙が水を吸うのを待ち、新聞紙が水で濡れたら中身を取り出して、新聞紙を取り替えて再び真空状態にします。この作業を繰り返し、ある程度水が抜けたら風乾に回します。
(作業の動画:https://www.facebook.com/miyagishiryounet/videos/259515688320502/

凍ったままの水損資料を新聞紙で包みます

家庭用真空パック器などで空気を抜きます

ある程度水が抜けたら、風乾処置に回します

サイズの大きな資料は布団圧縮袋を使いました

この作業は身近な物を使って簡単にできるものですが、人手と時間がある程度必要になってきます。事務局では今後、ボランティアなどをお願いしながら、今回お預かりした水損資料を順次処置していきたいと考えています。

10月30日 大郷町・大崎市での被災状況調査

10月30日(水)、事務局の蝦名、川内と、今回調査への同行を申し出ていただいた会員の只野俊裕氏(蕃山房)とともに、大郷町・大崎市での被災状況調査を実施しました。

・大郷町

まず10月18日の調査の際も訪問した、大郷町羽生地区の羽生天神社周辺に向かいました。前回の調査では周辺での聞き取り等ができなかったのですが、今回は神社近くの畑で農作業をしている方にお話をうかがうことができました。お話によると、吉田川支流の味明川があふれたことにより、高台となっている神社の麓付近は大規模に浸水し、集落全体が浸水をする危険性もあったとのことです。また、かつては味明川より溢れた水は、吉田川との間にある水田側に逃げていったのが、その間に建設された県道によって水がせき止められ、周辺に水がたまるようになってしまったというお話もお聞きできました。
お話をうかがった地元の方に教えていただき、羽生天神社の宮司さんのお宅を訪問しました。宮司さんによると、前回調査で被災を確認した神社麓の個人宅は宮司家の旧宅であること、また神社に関わる古文書も相当数お持ちだが、それらは現在のお宅に保管されて無事であることをうかがいました。宮司さんには、今後何かあった際のご連絡をお願いしました。
その後、18日に引き続いて、堤防決壊点である中粕川地区を再びまわりましたが、被災家屋の片付けはほぼ終了し、以前確認された襖などは見当たりませんでした。

大郷町羽生地区での調査の様子

・旧鹿島台町(大崎市)

次に大崎市旧鹿島台町へ向かいました。吉田川の決壊により1週間以上浸水状態が続いていた志田谷地地区は、かつて「品井沼」という巨大な湖沼が存在した地域でしたが、江戸時代から昭和30年代まで干拓事業が行われた結果、美しい水田が広がる穀倉地帯となっていました。
志田谷地地区では長く続いた浸水がようやく解消され、被災家屋での片付けが急ピッチに進められている様子でした。私たちは志田谷地地区の災害ごみ一次保管所となっている志田谷地公園へ向かい、現場の職員の方に許可をとって歴史資料等の廃棄がないかチェックしましたが、民具類の廃棄が数点確認されたものの、それ以外の歴史資料等については確認できませんでした。

志田谷地公園集積場での調査

集積場の傍らにあった「吉田川激特事業(激甚災害特別緊急事業)竣工記念碑」

次に、同じ旧鹿島台町の災害ごみ一時保管場所である、旧鹿島台商業高校跡地へ向かい、歴史資料等の廃棄調査を行いましたが、こちらも唐箕などの民具類の廃棄が確認されましたが、紙資料の廃棄は確認できませんでした。

旧鹿島台商業高校跡地では、唐箕2台の廃棄を確認

・旧松山町(大崎市)

次に、隣接する大崎市旧松山町へ向かいました。旧松山町については、事前に指定文化財等の被害が発生しているとの情報を得ていましたので、大崎市教育委員会松山支所を訪問しました。訪問について事前に連絡をしていませんでしたが、文化財担当の職員の方に快く対応いただき、状況をお聞かせいただきました。
松山地区では、今回の台風による土砂崩れにより薬師堂が倒壊し、その中に納められていた指定文化財(絵馬、鰐口)が被害を受けたとのことです。それらは地元住民の方々により搬出され、現在は教育委員会の方で保管しているとのことでしたので、実際に現物を見せてもらい、また、倒壊現場までご案内いただきました。薬師堂は裏の斜面に押しつぶされた形で倒壊しており、今回の台風では浸水被害以外にも、こうした土砂災害による被害が大きいことも改めて思い知らされました。

倒壊した薬師堂

薬師堂より救出された文化財

・旧岩出山町(大崎市)

次に、大崎市西部の旧岩出山町に向かいました。岩出山は天正19年(1591)に伊達政宗が米沢城より入り、慶長3年(1603)に仙台城へ移るまで本拠地を置いた場所で、政宗が仙台に移った後は、四男の宗泰が城主となり、以後幕末まで「岩出山伊達氏」が納めた土地です。岩出山城の下には「有備館」と呼ばれる岩出山伊達家家臣子弟の学問所があり、東日本大震災で主屋が倒壊するなどの被害を受けながらも、「日本最古の学問所建築」として知られています(国史跡および名勝)。
有備館の菊地優子さんは本法人の理事も務めていただいており、到着は閉館時間を過ぎてからでしたが、お話をうかがうことができました。今回の台風では、有備館の建物自体には大きな被害はありませんでしたが、庭園に面する岩出山城の斜面が大きく崩れ、遊歩道に土砂が流れ込むなどの被害があったとのことです。また、それ以外には岩出山地域では大きな被害は確認できなかったとのことでした。

菊地優子理事にご案内いただき、岩出山城の法面崩落を確認

10月31日 丸森町南部の被害状況調査

10月31日(木)、事務局の蝦名、川内と会員の只野俊裕氏で、丸森町南部の被害状況調査を実施しました。丸森町は今回の台風被害で特に被害の大きかった地域のひとつですが、その中でも数日間孤立状態にあった筆甫地区の状況を把握するため、今回の調査を実施しました。

丸森町南部の調査概要

丸森町の中心部は、阿武隈川の支川の新川、五福谷川の決壊により大規模な浸水被害を受けましたが、そのうち今回はまず、五福谷川沿いの地域を訪問しました。浸水が解消され、生活復旧に向けた動きが始まっている中心部に比べ、この地域では川沿いの家屋は土砂に埋もれるなど、復旧にまでまだ長い時間がかかりそうな印象を受けました。

土砂に埋もれた家屋

地区の災害ごみ置き場には、民具類も廃棄されていた

1階部分が完全に土砂に埋もれてしまった家屋

地元住民の方が取り残され、救助されたと報道のあった「住ヶ市部落集会所」

その後、筆甫地区へと向かいましたが、道中は道路崩落などが多数みられる、大変危険な状態でした。しかしながら筆甫地区に入ると、あちこちで土砂崩れは確認されたものの、想像以上に民家などの被害は少なく、災害ごみ置場にもそれほどごみが出されている様子もなく、被害程度はそれほど大きくないと感じました。

丸森町中心部~筆甫地区の道中。道路崩落や土砂崩れによる家屋倒壊が目立つ

筆甫地区の災害ごみ仮置き場。災害ごみがほとんど無い

筆甫地区の阿弥陀堂(マリア観音)。被害はない模様

11月1日 松島町個人所蔵資料のレスキュー

10月31日夜、松島町教育委員会より個人所蔵資料のレスキューについて依頼を受け、11月1日(金)午前、事務局の佐藤、川内で対応にうかがいました。水損資料はすでに松島町教委の方で保護され、水濡れの激しい資料については冷凍処置、それ以外の資料については風乾処置がなされていました。町教委の方の初期対応が的確だったため、すでに乾いている資料もあったため、風乾処置資料のうち、一部湿っているものについては、サーキュレーターを用いた風乾処置の方法をお教えし、冷凍処置しているものについては事務局で引き取り、今後処置を行うこととしました。

11月1日 角田市、白石市、柴田町での災害ごみ巡回調査

11月1日(金)午後、事務局の蝦名、川内で、これまで回り切れていなかった県南地域の災害ごみ仮置き場の巡回調査を実施しました。被災地では翌2日からの3連休で被災家屋の片付けが大幅に進むことが予想され、そうなると災害ごみ仮置き場に廃棄されている襖等の歴史資料が破砕されてしまう恐れがあったためです。
今回巡回した災害ごみ仮置き場のいずれも、すでに大量の災害ごみが廃棄されており、そこから歴史資料等を探し出すことは非常に困難でした。

角田市総合体育館駐車場災害ごみ仮置き場。大量の災害ごみの中に民具(木臼)が見える

白石市旧白川中学校校庭災害ごみ仮置き場

そのような中、柴田町の災害ごみ仮置き場(旧トッコン跡地)で、廃棄された箪笥の中から2枚の古写真が出てきました。どなたが廃棄されたものかはわかりませんが、もしお心当たりの方は当方で保存しておりますので、ご連絡いただけましたらご返却いたします。

柴田町災害ごみ仮置き場で廃棄されていた箪笥の引き出しに、写真がありました

このような写真が入っていました。お心当たりある方はご連絡ください。

発災から2週間ほど、被災ゴミ置き場では重機が入り、特に木材から率先して破砕作業に廻されているようです。今週に入ってからは下張り文書はほとんど見つかっていないため、そろそろ被災ゴミ巡回も最早限界という感じがしております。
一方で、各方面から被災資料についてのご連絡、ご相談が入るようになってきており、その処置の方にも着手しつつある状況です。今後は継続して被災資料のご相談をお受けしていくとともに、地元関係者の方々と協力しながら、被災地での巡回調査を行いつつ、被災した資料の復旧のお手伝いを続けていければと考えております。

引き続き、歴史資料の被災についてのご相談や処置の要請についてお受けいたしております。お困りの方や、また回りでお困りの方がいらした場合、廃棄する前にまずは地元教育委員会や郷土史関係の方々、また私たちまでご連絡くださいますようお願い申し上げます。

(文責:川内淳史)