127号 石巻文化センターにおける文化財レスキュー

救う―救済活動東日本大震災

東北大学大学院生 関博充

 5月15日、現地は浜風が強かったが、天候に恵まれた。この日は、宮城資料ネットから総勢21名がボランティアに参加した。以下に、その活動概要を報告する。

 石巻文化センターは、石巻港に注ぐ旧北上川の河口近くにあり、海は目と鼻の先である。建物の周りには、震災から2ヶ月経った今でも、木材や建材、自家用車からなる瓦礫が散在していた。押し寄せた津波は、センター1階フロアの窓や扉を破壊し、室内の什器や蔵書・資料を移動させだけでなく、土砂や材木、パルプ、そして軽自動車までをも館内に流し込んでいた。ほとんど手つかずの状態に見える館内のガラス窓や壁に残る痕跡から3m近く浸水したことが伺えた。震災時、館内にいた職員の方の話によれば、水が引くまで4日近くかかったそうだ。現在でもまだ電気、水などのライフラインは復旧していない。その中でのレスキューとなった。

館内に入り込んだがれきの撤去
泥に浸かった資料の救出

 文化財レスキューの第一の目的は、被災した文化財を、保存環境やセキュリティー上、安全な場所に移動させることである。それにはまず館内外の瓦礫や土砂を除去し、移動経路を確保しつつ、資料の存在とその被災状況を把握することが最優先となる。
       
 今回の作業も、屋内に堆積した土砂の除去から始まった。収蔵庫前には土砂や瓦礫が10センチ近く堆積し、扉の開閉を困難にしていた。津波が残す堆積物は、海から離れるに従い土やゴミを含み、ヘドロ化するものであるが、ここは海に近接していることが幸いし、ほとんどが海砂であった。暗闇での作業ではあったが、おおよそ乾燥しており、作業はしやすい。1階ロビーに堆積した土砂も除去し、その中から、事務室や書庫から流れ出した資料や図書を救出し、2階へと避難させた。

 午後は、収蔵庫内で海水、土砂、パルプにまみれた民俗資料を、一時的に屋外に運び出し、乾燥させる作業となった。塩水を含んだパルプや砂が多くの資料に付着しており、特に金属製品は、付着物の周囲で錆化が進行していた。いち早く純水で洗浄し、塩分を除去する必要があるが、現状では洗浄用の水も、洗浄後の保管場所も確保が難しい。最終的には、それらが可能な場所へ移動させ処理しなければならないが、今回は、資料全ての救出には至らなかったので、再度施設内で保管することになった。まだまだ資料は残っており、運び出しにも、その後の処理にも人手と時間を要することは間違いない。今後、継続的にボランティア活動を行っていく必要性を強く感じながら、この日の作業は終了した。

 作業終了後、津波に耐えた本間家の土蔵(ネット・ニュース118号参照のこと)を見学できた。壁や屋根に残る傷跡は痛々しいが、高く積み上げられた瓦礫の中に、どっしりと構える土蔵は、とても頼もしく見えた。石巻復興のシンボルとして保存できることを切望する。

(追記)
 石巻文化センターの津波被災資料は、その後宮城県内各地の博物館に一時搬出され、専門家による応急処置が進められています。(事務局・佐藤大介)

*参考 2011年5月24日河北新報朝刊 「石巻の宝を守れ 全国から学芸員、奮闘「必ず残す」」
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110524t13011.htm  *リンク切れ