143号 唐桑の「トポス」-気仙沼市での被災古建築保全

救う―救済活動東日本大震災

 宮城資料ネット事務局佐藤大介です。今回は7月21日から24日に気仙沼市唐桑町で実施した建築班による同町S家家屋の保全活動について報告します。


 S家の概要と被災状況については、メールニュース132号などをご参照ください。今回の活動では、明治30年竣工の主屋と、それ以前にさかのぼると思われる土蔵および板蔵群の測量を実施しました。建築班の呼びかけで、東京大学生産技術研究所太田浩史ゼミを中心に、東京、金沢、大阪から合計16名が参加しました。(右絵:測量方法の説明 22日)


 学生メンバーは初めての古建築測量という事でしたが、古建築を数多く手がけられた金沢の建築士武藤清秀さんからのアドバイスをうけ、主に穀物蔵や、戊辰戦争に敗れた仙台藩兵3名が立てこもっていたという板蔵、馬小屋の測量を行いました。一方、主屋を測量した東京大学のポルトガル、ブラジル、ギリシャからの留学生3名は、日本の「尺・寸」単位を慎重に確認しながら、気仙大工の技術の粋が尽くされた建物を測量してきました。今回の活動では、当日の台風接近に伴う瓦の落下などに備えて測量対象から外した文庫蔵を除く各施設の平面図についておおむね測量を終えました。残りの部分や建物の立面については8月下旬に測量を実施する予定です。なお、今回は計測器を用いた傾きの調査も行いましたが、1800ミリ(1.8メートル)の柱に対してわずか5ミリの傾きで、完成後2度発生した(1936、1978年)宮城県沖地震や、今回の大震災でもほとんど影響がなかった事が明らかになりました。気仙大工たちの確かな技術力がここでも証明されました。(右絵:野帳作り 22日)


 一方、今回参加した東大太田研究室メンバーは、地区の復興プラン作りの支援も行うことになっています。22日夜には地元の自治会関係者との交流会が、S家近くの集会場で行われました。前日まで徹夜で作ったという地区の立体模型を囲みつつ、津波の様子や地域の特徴、そして目下の復興に向けた課題について率直な意見が寄せられました。一方、太田研究室では偶然にも昨年から1755年の地震と大津波で被災したポルトガルの首都リスボンの都市計画の研究をしていたとのことで、50年をかけて復興を成し遂げたという経緯が紹介されました。地元の方々も、ぜひこのような事例に学びながら、長期的な視野で復興に取り組んでいきたいと大いに感銘を受けておられました。(右絵:交流会の様子 22日)

 個人的には、「過去に学ぶ」ということが復興に寄与しうるということを実地で知り得たのは収獲でした。その一方、これまで何度も調査に訪れた、唐桑や三陸沿岸での明治や昭和三陸津波からの復興に向けた取り組みについて、何一つ説明できなかったということに、研究者としての自分の力不足を痛感させられもしました。

 今回の調査は、地元の宿泊施設が仮設住宅などの復興関係者で満室とのこともあり、S家のご厚意で地元の集会所に宿泊しました。食事もS家の方が地元の主婦2名を依頼してご快諾いただいたおかげで、今回の活動を実施することができました。お二人とも津波で家を失ったとのことですが、困難な状況の中私たちを温かくもてなしてくださいました。S家および地元の方々のご尽力について、この場を借りて厚く御礼申し上げます。


 活動期間中の23日夜には、地元の復興イベントで市の無形民俗文化財にも指定されているカツオ一本釣り漁をテーマとした民謡も見る機会がありました。S家の古建築に加え、地元の被災後の実情と、それにも関わらず受け継がれる文化にも十分触れることのできた4日間となりました。(右絵:地元に伝わる民俗芸能の披露23日)

 帰りの挨拶に際して、ギリシャからの留学生より、ギリシャ語には「場所」を示す「トポス」という言葉があるが、そこには歴史や風土、文化といった要素すべてを含む言葉である、唐桑のこの地はまさに「トポス」であり、今回の活動に参加できてよい経験になった、という感想が御当主に寄せられました。それを聞いて、私自身も震災に伴う歴史資料レスキューが、古文書や民具、美術工芸品といったモノを守ると同時に、それが表す東北の人々の営みと、その蓄積で築かれてきた風土や景観、すなわち「トポス」の継承にもつながるような活動であればという思いを新たにし、今回の活動を終えました。