151号 地元の歴史資料保全の成果を守る 「石巻古文書の会」収集資料レスキュー

救う―救済活動東日本大震災

宮城資料ネット事務局の佐藤大介です。今回は、去る9月15日に実施した「石巻古文書の会」収集資料レスキューについての報告です。

石巻古文書の会は、25年以上の活動実績を持つ、石巻市の郷土史サークルです。合併前の石巻市やその周辺の牡鹿半島や北上川下流域の旧家に残されていた古文書の整理と解読を行い、10冊以上の古文書資料目録や史料集を刊行しています。サークルを主宰されている庄司惠一さんからは、震災前から石巻市周辺の歴史資料について多くの貴重な情報提供を受け、ともに保全活動に取り組んできました。


3月11日の震災では、庄司さんの自宅も津波で一階部分が完全に浸水し、書庫に保管されていた資料やデータも被災しました。その中で、庄司さんからは今回の津波で被災した地域の歴史資料情報が寄せられました。その情報を元に、女川町木村家文書ネットニュース124号参照)など、数多くの貴重な古文書資料のレスキューにつながりました。(右絵:被災資料9月15日)

一方、石巻古文書の会関係資料については、震災から10日後に庄司さん自身からの被災状況報告をいただいたことをふまえ、早くから宮城資料ネットによるレスキューの対象としていました。しかし、他の被災資料レスキューなどの兼ね合いで対応が大幅に遅れてしまい、震災から半年以上が経過した今回、ようやく現地を訪問する運びとなりました。


9月8日時点での情報によれば、移動式書架のレールがさび付いていて動かなくなっており、段ボールに収められた関係資料の搬出は難しい状況だということでした。そのため、今回の訪問では状況確認を行うこととして、現地へは佐藤一人で向かいました。ところが、現地に到着すると、訪問に備えて書架を点検しているうちに書架が動かせるようになったとのことでした。そのため、段ボール30箱以上に収められ、書架の中に積み上げられた資料の状況を確認することが出来ました。書庫は機密性が高く、30センチほどの浸水でとどまっていたとのことで、段ボールは最下段の5箱ほどを除いて浸水を免れていました。体力的な不安もあり、これらを一人で搬出するかどうか、一瞬躊躇しました。しかし今回の訪問に合わせたかののように搬出できる状態になったこと、浸水した分は大至急レスキューする必要があると考えられたこと、念のため文化財等救援委員会から提供されたバンで訪問していたため、今回すべての資料を積み出すことが出来ると判断し、仙台の事務局と電話で協議した上で、一人でレスキューを行うことにしました。庄司さんの助力も得ながら、一時間を超える作業ですべての段ボールを搬出することが出来ました。(右絵:9月15日撮影浸水した資料(右絵:被災資料9月15日)


今回レスキューした資料は、最初に述べた史料集などの素材となった古文書資料のコピー、モノクロおよびカラー写真、解読原稿に加え、庄司さんが収集された仙台藩領関係の古文書資料現物も含まれていました。庄司さんによれば、特に沿岸部のものについては今回の資料で原史料が失われたものも多いということです。そのような古文書については、今回レスキューした複写資料が現存唯一ということになります。しかし、レスキューが遅れた結果、特に写真資料については厳しい状況にあります。写真については専門的な知識を持つボランティアの方の力を借りながら応急処置に取り組んでいます。


今回は石巻古文書の会が、宮城資料ネットに先立つこと20年以上前から地道に行っていた古文書資料保全の成果をレスキューしたということになります。地域に残された歴史資料を守るのに大きな役割を果たしてきたのは、石巻古文書の会のような、地元の歴史に愛着を持つ郷土史サークルに集う市民の方々だということを改めて学ぶ機会となりました。

また庄司さんからは、今回のレスキューを契機に、収集した資料を広く共有していきたいというお話もありました。後者については、石巻古文書の会とも協力しながら、方法を模索してきたいと考えています。

地元の歴史資料保全活動の成果を守り、共有化する。また一つ新たな課題を確認できた今回のレスキューでした。


*庄司惠一さんご本人のご了承を得たこと、女川町木村家文書レスキューについては実名での報道がなされており、本ニュースではお名前を明記しております。(右絵:バンに満載になった被災資料)

 (右絵:応急処置中の写真 写っている古文書は原本が消滅している)