205号 岩手県陸前高田市・吉田家文書の整理を実施/岩手県陸前高田市吉田大肝入文書の保全・整理作業に参加して

救う―救済活動東日本大震災

岩手県陸前高田市・吉田家文書の整理を実施

 事務局佐藤大介です。8月24日から26日の三日間、宮城県多賀城市の東北歴史博物館で、同館所蔵の岩手県陸前高田市・吉田家文書の整理作業を実施しました。参加者は宮城県内に加え、埼玉、東京、兵庫などから、合計38名でした。
 吉田家、および吉田家文書の概要と、今回の活動の経緯については本ニュース202号をごらんください。今回の作業では、冊子体の史料と、7月2日に整理した一紙史料、あわせてダンボール14箱分の撮影を行いました。撮影した画像データは、21,014コマ(重複写真など整理前の速報値)となりました。これらの画像は、岩手県陸前高田市での歴史文化を活かした復興に際し、関係者での参考資料として活用される予定です。
 今回の調査に際しましては東北歴史博物館に多大な便宜を図っていただきました。末筆ながら記して御礼申し上げます。


(参加記)

岩手県陸前高田市吉田大肝入文書の保全・整理作業に参加して

東北大学文学部日本史専修3年 熊谷綾

 8月24日から26日まで、東北歴史博物館での気仙郡大肝入吉田家文書の保全撮影作業に参加しました。

東北歴史博物館での作業風景(8月25日)

 かつての仙台藩の沿岸北部に位置する気仙郡は、現在の岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町と釜石市の一部を含む地域です。吉田家はその気仙郡を管轄する大肝入を務め、陸前高田市の今泉地区に屋敷を構えていました。

 しかし2011年の東日本大震災により、気仙川沿いの吉田家住宅と図書館に寄託されていた吉田家の古文書は海水損し、レスキューされた資料は現在も応急処置と修復の段階にあります。これまでに私は陸前高田市立博物館や岩手県立博物館において、被災資料の安定化処理を学ぶ機会を得ましたが、そこで見たのは汚泥にまみれた膨大な量の古文書や民具等でした。
 そんな中、東北歴史博物館に所蔵されていた吉田家文書が被災を免れていたことを知りました。実際に史料が入った段ボールが積み重なっているのを見たとき、陸前高田市で生まれ育った私は泥が付いていない郷土資料の存在に安心し、一方では資料保全作業の初心者として緊張感を持ちました。
 今回は、デジタルカメラでの古文書撮影と中性紙封筒への封入作業を行いました。分厚い冊子から切り継ぎされた一紙物まで様々な形態の史料があり、広げて見るたびに次はどんなものが出てくるのだろうと興味津々でした。
 勉強不足で古文書は簡単な部分しか読めませんでしたが、周囲の先生方から史料の内容や研究の端緒になりそうな部分などについてお話を聞くことができました。この吉田家文書を本格的に利用できれば、近世の気仙郡や仙台藩について新しい事実が発見されるのは確実ではないかと思います。
 震災後は、海水損した歴史資料のレスキューや保存修復が注目されています。私自身も被災資料に触れる経験をしたことで、被災古文書を「紙」として残していくという意識を持っていました。しかし今回の撮影作業では、古文書に書かれた地域の歴史的情報の価値もまた強く感じました。
 東日本大震災から2年5か月以上が経過し、陸前高田市や被災地の状況も変化しています。私の主観的な見方ではありますが、郷土史に対する住民の関心が高まっていると感じます。たとえば、震災直後は瓦礫の写真や浸水域の航空写真を掲載した記録集が多く出版されていましたが、現在は郷土史関連の書籍も新たに刊行されるようになってきました。

一紙史料の撮影(8月25日)

      

 しかし、現状では陸前高田市の新市街地はいまだ土地造成の段階で、住居や公共施設・商店の多くが仮設のままであり、博物館や図書館の復旧の時期はいまだ明確ではありません。陸前高田市の各機関や地域住民が、自らの手で歴史資料を保管し本格的に利用できるようになるのは、まだまだ先のことではないかと思います。

 今も被災資料に対する全国からの技術的・人的な支援が継続されています。支援を与える側と受ける側という一方向の関係ではなく、援助者に学術的な情報や資料保全のノウハウを還元し、地域住民と援助者がともに歴史資料を活かしていければと思います。
 最後に、貴重な経験の機会を下さった宮城歴史史料保全ネットワークの皆さま、東北歴史博物館の皆さま、多くのご指導を頂いた保全・整理作業の参加者の皆さまにお礼を申し上げます。