225号 「エクスカーション」としての資料保全作業体験

救う―救済活動東日本大震災

有賀暢迪(国立科学博物館)

 2014年の7月4日に、宮城資料ネットでの被災資料クリーニング作業を「体験」する機会があった。その翌日から2日間にわたって開催された、日本科学史学会生物学史分科会の夏の学校「科学史・医学史とアーカイブズ」の、「エクスカーション」(遠足)企画としての位置づけだった。


 誤解を恐れずに書くが、僕はこの夏の学校のプログラムを見たときから、この資料レスキュー作業を「楽しみ」にしていた。震災後の資料ネットの活動についてはインターネット等を通じてかなり早くから知ってはいたが、実際に参加したことはない。現場を見聞きすることのできる、ありがたい機会を作ってもらえたと思った。特に、自分は2013年度から科学博物館に所属するようになったため、資料の保全が具体的にどのように行われているのかにはたいへん興味があった。
    (絵 当日の作業の様子 7月4日撮影→)

 今回は、いったん乾燥させた資料に付いている泥や砂を、ヘラや筆で払い落としていくという作業を行った。実際に体験して感じたのは、予想していたよりも資料の状態がむしろ良いということだ。もちろん、自分たちに割り当てられた資料がたまたまそうだった、という可能性はあるだろう。しかしそれ以上に、最初のレスキュー段階で適切な対処が行われていたということのほうが大きいのではないかと思う。言ってみれば、今回の作業は、救急救命病棟での処置がすでに終わった患者を入院病棟で世話しているようなものではないか。そのあたりに、震災から3 年という時間の隔たりを感じる。

 もっと早くに手伝いに来なかったのはなぜだろう、と、嫌でも考える。ちょうど自分の身分が不安定な時期でもあり、生活に余裕がなかった。あるいは、出版物を読み込むというスタイルでそれまで研究をしてきた自分の身体には、資料を「保全する」という行為の重要性が十分染み込んでいなかった(出版物というのは基本的に、複数の図書館に所蔵され、すでにそこにあるものだ)。言い訳ならいくらでも思いつくが、後悔してみても何も始まらない。


 たとえば、その当時の自分に対して、どんな誘い方をすれば参加する気になっただろうか、と考えてみる。「資料の保全はとても意義のある活動なんだ」、「仮にも歴史をやっているのだから手伝うべきじゃないのか」などと言ってみても、かえって気後れしただけだろう。「専門的な知識や技術は必要ないから大丈夫だ」、「誰だって来てくれれば歓迎する」――これは事実その通りだったのだが、実際に体験する前にそれを信じるのは難しいかもしれない。

 思うに、今回は夏の学校の「エクスカーション」という形だったのが良かった。企画者の藤本さん(昨年度、体験記を寄稿されている)にとっては、被災資料レスキューのほうがメインだったのかもしれないが、いち参加者の側からすると、あくまで研究会の「おまけ」という位置づけだったことで、かえって参加しやすかった。少なくとも、僕はその「体験」を「楽しみ」にしつつ、夏の学校に出かけたのだ。

 資料ネットの活動は人手不足で、わずか半日の参加だけでも助かる、と伺った。そして実際、まったく知識や経験のない人でも作業できるような環境が整えられていた。だとすれば、資料保全の意義云々とは少し離れたところで、単純に多くの人に作業してもらえるような呼び掛けを考えていく必要もあるのではないか。異論はあると思う。けれども、過去の自分をこれに誘うとしたら、今ならきっとこう言うだろう。「案外、楽しいよ?」と。

【追記】今回の作業は、以前に保全作業に参加いただいた藤本大士さん(ネット・ニュース207号)、廣川和花さん(ネット・ニュース173号)のご協力で、日本科学史学会生物学史分科会の夏の学校「科学史・医学史とアーカイブズ」の一環として企画していただきました。今回執筆を戴いた有賀さんをはじめ、遠方より駆けつけて作業に御参加いただいた皆様に厚く御礼を申し上げます。(事務局・蝦名)