165号 仙台市博物館展示「東日本大震災1年 資料レスキュー展」報告

広める―普及活動救う―救済活動東日本大震災


 仙台市博物館市史編さん室職員の栗原伸一郎です。宮城資料ネットのホームページでお知らせいだきましたように、仙台市博物館では、3月6日から25日まで1階ギャラリーで「東日本大震災1年 資料レスキュー展」を開催しました。これは、東日本大震災以来、仙台市内で行われている資料レスキュー活動の成果を市民に公開して、地域の歴史資料をめぐる現状や、歴史資料を地域の共有財産として継承・活用することの重要性を伝えるために開催したものです。以下では、主な内容についてご紹介します。

 展示は、現物展示、パネル展示、スライドショーに分けられます。

 現物展示では、仙台市内でレスキューされた個人所蔵資料や公文書を展示しました。具体的には、津波被害を受けた宮城野区の仙台藩士の旧家から救出された近世初期の知行目録や弓術関係の巻物(ネットニュース128号を参照)、家屋や蔵に被害を受けた若林区の旧家から救出された寛永21年の検地帳や漢学者岡千仭の書、家屋や蔵に被害を受けた若林区の旧家から救出された廻文を表装した屏風(破損部分からは裏張り文書が見える)、津波被害を受けた若林区の大日如来堂に保管されていた天保4年の祭礼旗、津波被害を受けた東六郷小学校に保存されていた昭和2年の学校沿革誌、になります。これらは、仙台市博物館や宮城資料ネットなどがそれぞれレスキューしたもの、あるいは連携しながらレスキューしたものです。
   


 また、今年の1月から3月まで仙台市博物館内で行われた国立公文書館の被災公文書等修復支援事業で使用した、水損資料を洗浄・乾燥するための資材や器材を展示しました。現物展示した学校沿革誌は、実際に洗浄作業を行ったものです。パネル展示の主な内容は、①現物展示したものを始めとした、レスキュー活動の過程で救出・調査した歴史資料の紹介、②仙台市博物館で行っている資料レスキュー活動の紹介(ネットニュース121号139号を参照)、③資料整理方法と水損資料処置方法の紹介、④仙台市内の史跡・歴史的建造物・歴史的景観の被災状況の紹介、④過去に発生した仙台平野の歴史地震と津波の紹介、⑤過去に地震などで被災した仙台城の石垣修復工事の紹介、になります。合計で25枚のパネルを展示し、これらは印刷してパンフレットとして観覧者に配布しました。

 この他、水損資料の洗浄作業の工程と、レスキュー活動の様子や仙台市内の被災状況について、モニターを設置してスライドショーを行いました。
 仙台市博物館では同じ会期で「国宝 紅白梅図屏風とMOA美術館の名品」が展示されていたこともあって、「資料レスキュー展」にも宮城県内外から幅広い世代の方々にお越しいただき、最終的には8138名の方々にご観覧いただきました。展示させていただいた資料の所蔵者の方からは「資料を活用してほしい」、「調査してもらわなかったら資料を廃棄するところだった。日の目を見ることができて有り難い」といったお言葉を頂戴しました。

 ご観覧いただいた方のなかには、宮城資料ネットの活動を詳しくご存知の方もいらっしゃいましたが、一方では「資料レスキュー」という言葉を初めて耳にされた方も数多くいらっしゃったようです。そうしたこともあって会期中には、展示をご観覧いただいた方やマスコミを通して展示のことをお聞きになった方から、所蔵する資料について何件も相談を受けました。

 今回の展示を通して、研究者や歴史愛好家の方々だけではなく、広く市民の方々に活動をアピールしていくことの重要性を再認識しました。現在は、パネルを仙台市博物館以外の公共施設で展示させていただいています。今後もパネルの巡回展示を含めて、更に資料保全活動の広報に努めていきたいと考えています。

 最後に、展示にご協力いただきました市民の方々と宮城資料ネット事務局の方々に対して、厚く御礼申し上げます。

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  公文書修復事業並びに『資料レスキュー展』に参加して
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斎 綾子

 1月末~3月初旬まで実施された国立公文書館の公文書修復事業に、その後仙台市博物館にて行われた『資料レスキュー展』に受付として参加させて頂きました。


 修復作業を経験して初めて知りましたが、津波被害を受けた資料は手に取ると海の臭いがします。海水は乾きにくいためか、厚手の資料は、乾燥させたものでも生乾きの様に湿り気があり、持つとずっしりと重く、紙同士が離れません。海の“ヘドロ”はただの砂とは違い、資料に固まります。

 作業中これらの資料と向き合うと、津波のすさまじい威力に心が痛むことが多々ありました。中には少しの洗浄で水が木の皮の様な土気色になる資料もあり、何度も丁寧に刷毛や筆、スパチュラと呼ばれるへらで紙にこびりついた土砂やヘドロを落とす作業を続けていきました。

 ただ、その中で、解体中の教科書にいたずら書きや卒業目録の人名を見たりすると、昔の知人に再会した様な温かい気持ちになりました。また、昔教科書を使用していた小学生が挟んだのか、押し花が出てきた事もあり、作業中、思わず皆で笑ってしまいました。と同時に、この教科書には人の思い出と時間がつまっている、と思うと私にはそれがその人の歴史の一部である様に映りました。


 『資料レスキュー展』会期中は、平日でも300名、休日になると500名以上の方が足を運んで下さり、実際に処置に用いられた道具や修復風景のパネルを皆さん真剣に見入っていました。

 歴史資料とはどういうものか、和紙の洗浄方法、資料の修復前の姿について、など熱心に質問される方が多く、中には、今回の震災により自宅が被災し、宮城資料ネットによって行われたレスキュー活動で古文書が助けられた、と話す方もいました。生活するだけで精一杯、古文書までどうすればよいか、頭の片隅にはあっても実際自分では動きようがなく、そんな途方に暮れていた時に処置してもらえ、ありがたかった、との事でした。洗浄前・後の資料を比較した展示では、よれやヘドロが取れた資料に「きれいになるものですね」と話して下さる方も多く、様々な年代の方から労いの言葉や「修復作業に参加したい」との声を頂きました。
 
 今回、『資料レスキュー展』に関係し、観覧者の方の言葉はとても印象に残りました。実際に自宅の資料がレスキューされた方の話、展示を見て興味を示して下さった方々とのやり取り。そして、若い世代の方が一生懸命質問して下さる姿も印象的でした。

 資料の修復・展示に関わる一連の仕事で、色々な方とお会いし、改めてこの活動の意味を教えられました。資料レスキューの重要性、またそれを知って頂く為の展示。そして、この活動が博物館や宮城資料ネットを始め、様々な専門家やボランティアにより支えられている事を知りました。作業自体は根気のいるものですが、後世に資料をつなぐ、という意味も込め、今後も何らかの形で資料保全活動に携われればと思います。