210号 2013年下半期の活動(その2) 事務局での作業続く

救う―救済活動東日本大震災

 前号では被災地からの一時搬出について報告しました。しかし、それらは保全活動の入り口に過ぎません。

 津波で被災した文書は、ここから長い道のりをかけて対応しなければなりません。また、被災した伝統的建造物の解体に伴い、ふすまの下張りに再利用されている文書も膨大に出てきています。加えて、「次」の災害に備えるため、記載内容を保全するためのデジタルカメラによる撮影も必須です。本号では、事務局よりそれらの活動について報告します。

1 津波被災史料のクリーニング

下半期は、下記の4件について実施しています。主に、毎週月曜日から水曜日に活動しています。

(1)石巻市・K家資料(2012年1月に保全/メールニュース159号参照)
 K家資料については、東北芸術工科大学講師で資料ネット会員でもある竹原万雄氏および同大学の学生とともに作業を実施しています。全体のドライクリーニング作業を終え、現在はデジタル撮影および再整理作業をおこなっております。
 段ボール約60箱分におよぶ膨大な量の整理はかなりの労力を費やしますが、竹原さんおよびそのゼミ生たちの尽力により少しずつですが着実に進んでいます。

(2)石巻市・T家文書(2012年3月に保全/メールニュース164号参照)
 今年の下半期で特に中心となったのは、同文書への対応です。
 被災から救出まで1年が経過した文書は、破損とカビなどでの劣化が著しく進行しています。そのため、まずは固着した部分を確認しつつ、開披可能な資料について、少しずつ開いていく作業を始めなければなりません。これは大変な作業です。また資料の状態によっては補修のため一旦解体しますので、きちんと順番を記録しておくことも不可欠です。その後、破損部分の補修をおこなうなど、純粋な応急処置から一歩踏み込んだ作業も実施しています。
 一見すると修覆困難に見える文書が、長い時間をかけて解読可能な状態にまで回復するのは感動的です。もちろん対応困難な文書も多数あり、残念ながら全体の半数以上は処置を施すことはできませんでした。ほぼ現状を留めない状態のものもあり、触ることさえためらわれるものもありました。
 一連の作業で、対応可能な部分についての応急的な処置は完了ししました。現在は作業経過のデータ整理や目録化作業も並行して実施しつつ、簡易修理を施しています。

(3)南三陸町・戸倉小学校文書(2011年6月に保全)
 戸倉小学校資料は、2011年6月に理事の大平聡氏の連絡を受け保全を実施した資料です。その後、乾燥のために山形ネットを通して東北芸術工科大学へ真空凍結乾燥を依頼していました。
 今年の4月に資料の乾燥が完了し、事務局に返却されたものについて、ドライクリーニング作業を実施しました。
 乾燥を終えたとはいえ、現在も津波被災資料独特の臭気を漂わせています。そのため、来年以降、資料の洗浄作業を実施する必要があります。

(4)女川町肝入関係資料(2012年3月に保全/メールニュース164号
 女川町教育委員会の依頼でお預かりした資料ですが、約600枚の文書が一つの固まりとなっておりました。幸い、大きな劣化はみられず、容易に展開が可能でしたので、1枚ずつ剥がしていき、ドライクリーニングと洗浄作業を実施しました。1枚ずつ封筒詰め作業も完了し、あとは記録化作業を残すのみとなりました。

 被災からもうすぐ3年を迎えようとしていますが、多くの資料は依然被災当時の状況のままです。それでも少しずつながらも安定した状態に近づけていくことができています。全国各地からいただいた、多くの方々からのご支援とご助言が、こうした活動を支えているものと受け止めております。この場を借りてあらためて御礼申しあげます。

 作業の過程で、もはや古文書として復旧することは不可能と思えるものも多く確認しておりますが、なかなかそれらを「不要」と定義することができずにいます。
 こうした劣化資料は、現在真空パックないしは冷凍保管して、処置を実施した資料と別置しています。今後の保存科学的分析素材として役に立てる方法もあるかとも思い、現状維持に努めております。
 また、本来の価値を失ってしまった資料も含め、どのように歴史的に価値づけていくか、震災の記憶を後世に伝える震災記録として、新たな価値付けも含めた保全も必要なのかとも考えています。 (天野真志)

●石巻市T家文書への対応 写真グラフ

 

2 ふすま下張り文書の保全

こちらは下記の通りです。毎週平日の木曜・金曜が作業日です。

(1)仙台市・旧岩切郵便局庁舎資料(2011年4月に保全/メールニュース102114号参照)

(2)亘理町・M家文書(2011年6月に保全/メールニュース135号参照)

(3)石巻市・K家資料(2012年1月に保全/メールニュース159号参照)

(4)石巻市・G家資料(2013年6月に保全/メールニュース198号参照)

 この間に対象となった資料は、津波をうけたことによるカビ被害の処置が終わったものや、直接的に津波被害はうけず、しばらく保管していた史料になります。
 最近の作業では、でんぷん糊を分解する酵素水溶液を使用することで、以前に比べ効率的に古文書を1枚ごと剥がすことができるようになりました。そこで、以前は固着して剥がせないままの状態にしていた下張りも、改めて酵素水溶液を用 いて剥がし作業を実施しています。
 古文書の剥がし作業では、1枚ずつ文書をナンバリングして貼り付けられている状況を記録し ながら、剥がしていきます。特に近世のふすまは、元になった帳簿や書状が元の秩序どおりに貼られているケースも多く、極力これらの状態を 維持しながらナンバリングし、処置を進めています。また胡粉が塗られ文字が読めなくなった古文書については、被災資料のクリーニングを応用して水洗いをし、文字が読める状態にします。

 ふすまの下張り文書には、その家で所蔵していた蔵書を使用しているケースが多くみられます。例えば医業を営んでいた石巻市K家では、下張りに医書が多く使われています。こうした版本や刊本については、作業に参加してくれた近世や近代の研究者に協力を得ながら、分類して整理を続けています(メールニュース173・207号)。また、商業を営んでいた亘理町・M家の下張りには、商業に関わる証文や手紙などが多くみられます。襖の下張り文書は、その襖があった家や地域の歴史が眠っていると言ってもいいでしょう。
 これらの整理作業を終えるのは当分先になりそうですが、下張りとして眠っていた古文書を一日も早く歴史研究の資料として活用できる状態にするために、今後とも作業を続けていきたいと思います。 (蝦名裕一)

●ふすま下張り文書への対応 写真グラフ
 

 

3 史料の撮影

 東日本大震災関連での対応は下記の通りです。毎週月、火、金の3日間作業しています。

(1)栗原市・H家資料 2012年1月に保全(完了)
(2)涌谷町・S家資料 2011年7月に保全(完了)
(3)大崎市・M家資料 2012年11 月に保全(完了)
(4)女川町・C家資料 2013年5月に保全(完了)
(5)女川町・S家資料 2013年7月に保全(完了)
(6)女川町・D家資料 2013年7月に保全(完了)
(7)石巻市・S家資料 2013年9月に保全(完了)
(8)東松島市・K家資料 2013年9月に保全(完了)
(9)栗原市・S家資料 2011年8月に保全(継続中)
(10)石巻市・G家資料 2013年6月に保全(継続中)


 1日あたりカメラ3台から6台での作業です。撮影ファイル数は、合計で75128コマになっています。
内陸部が多いのは、水損した資料はすぐに撮影することが出来ないからです。また緊急性など個別の事情で、保全した順番と撮影順が前後する場合もあります。全点撮影には時間がかかるため、震災が発生した年に保全した資料にまだ手を付けられていないものがあります。
 撮影は、公式サイトでも公開しているマニュアルに従って進めています。一方、その集約は、午後5時にその日の作業を終えてからになっています。時に1日でも数千枚に及ぶファイルの確認と整理作業は、深更に及ぶことも珍しくありません。さらに出張や講義などでその日のうちに作業が出来ない場合もあり、それが続くと数日分のファイル(SDカード)がたまります。バックアップを取らないうちに何かあったら・・・。綱渡りの日々が続きます。 (佐藤大介)

 (右絵   2日分の画像データ・約3200枚が入ったSDカード2013年12月24日)

4 作業従事者

 クリーニング及びふすま下張りはがしの作業に参加した延べ人数は次の通りです。
・2013年6月 227人
・2013年7月 209人
・2013年8月 182人
・2013年9月 243人
・2013年10月 225人
・2013年11月 223人
・2013年12月 159人 合計 1468人

作業は、宮城県や石巻市などの受託事業として従事している市民スタッフの方々が中心になっています。単に作業に加え、勤務時間や備品の管理、さらに作業における技術上の留意点の注意など、新たな保全の方法論につながる経験が蓄積されています。
 加えて、宮城県内外から個人単位、また大学ゼミ単位で、ボランティア参加を得ております。多くの方々に支援をいただきましたことに、改めて記して御礼申し上げます。(佐藤大介)